いつから学ぶことが面白くなくなったのか

経済に関する本を読みながら、学生時代のことを思い出していた。今こうして自分の今日のあることを学ぶことは非常に面白い。しかし、学生時代そんな風に学ぶことが面白いという感覚を失っていた。


学校での学びというのは、私自身にとってはテストでいい成績を収めなければいけないというプレッシャーといつも隣り合わせで、純粋に興味のあることを学ぶということとはかけ離れていた。自分の興味の無い分野であったとしても、そこを学ぶことでいい成績を収めることができるのであればそれは自分にとって学ぶべきことだと思い込んでいた。


つまり、学ぶという行為は主体的な行動ではなく、いつも受動的で外側から自分を価値ある人間だと評価してもらうために必要なものだった。これができれば価値があると評価してやると言われれば、ただそれに従い与えられたものを学び覚えていたのだ。


今考えると非常に当たり前のことだが、このような学び方をして楽しいと感じるはずがない。自分の感情は一切関係なくただただ周囲の意向に従っていたのだから。


そして、大学を辞めて一般的なレールから降りたとき、初めて自由に学ぶことを選択できるようになった気がする。もう誰かを満足させるために学ぶ必要は無くなったのだ。思い出すとその頃から一つの変化があったのは、本を読むことが好きになったことだ。ただ純粋に自分の興味がある分野の読みたい本を手に取り、自分のペースで本を読み進めるという行為は、私にとっては最高の娯楽になった。そして、今までずっと本を読むことが嫌いだと思っていたことが間違いだったと知ることができた。

もしあのまま一般的なレールの上を歩き続け、周りの期待を満たすために学び続けていたら学ぶことが楽しいと思える日は来なかっただろう。本を読むことが楽しいとも思えなかったと思う。

今の日本の教育システムの中で育ってきた人たちの中には、同じように学ぶことが楽しさを感じない人が多いのではないかと思う。以前の自分と同じように。そして、今の社会は学ぶことによって何かの役に立たなければ、その学びは意味がないように感じられる側面もあるのではないだろうか。


例えば、学びといってもそれが資格の取得に繋がったり、将来仕事に活かすことができて給料が上がったり、キャリアアップに繋がったりと。そうでなければ、その学びにはいかにも意味がないように感じさせるし、そういった評価を下したがるのが今日の世界なのだと思う。全てを数値で測れるものに置き換え、それによって評価したがる世の中というのは、一見効率的に見えて非常に大切なことを見落としているように思う。


そこで私は、ただ学ぶということを推奨したい。何の見返りを求めることもなく、ただ自分の興味のある分野について学ぶ。それは、今の社会の価値観からすれば何のためにと思われるかもしれない。ただ学ぶことを楽しめばいいと私は思う。そして、本当の意味で学ぶとは楽しいと思えるのは見返りを何も求めずに学び始めたときなのではないかという気が私はしている。


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