登山が教えてくれた知見
僕は先日、何を思ったのか急に午後2時に思い立って、30分後の午後2時半から3時間かけて標高1400メートル、往復で頂上まで10キロある登山道を駆け上り駆け下りて来ました。そんな普通の人からしたら意味不明だと思われる弾丸登山によって僕が気づいた大切だけど忘れている人生に役立つ気づきをこの記事ではシェアしようと思います。
記憶は決して正確なものではない
今回登った山は何も初めて登る山ではなく、最後に登ったのは約2年前の秋でした。2年前の記憶なんて割と正確なものだと思うでしょ?僕自身はそう信じていましたが実際はそうではありませんでした。
登り始める前の僕の記憶の中では、緩やかな傾斜の坂道を1時間くらい歩けば頂上までたどり着くことができ、頂上の標高はせいぜい1100メートルくらいだと思っていました。
しかし実際に登ってみると、緩やかな傾斜は最初の15分程度で急に始まる険しい山道。そして、前日の雨で滑る足下。1時間経って見えたのは、5合目という目印。ここくらいで僕自身はやっと気がつきました、「想像と全然違うな」と。
確かに2年前も僕はこの同じ道を登ったはずだったのに、記憶と現実はこんなにもかけ離れている。登り始める前は、登山の楽しい記憶だけでこんなにもきつく険しい道中は全く想像していませんでした。
そして、僕はこの時に実感しました。
それは、『人の記憶は、自分の意思にかかわらず美化されている』ということです。
人は過去の記憶を勝手に美化している
美化されていると聞くと聞こえはいいように思えますが、ただキツかった記憶や嫌な記憶を消しているのかもしれません。どちらにせよ、記憶を思い出したところでその時の感情にそのまま戻ることもできなければ、いい部分だけが思い出されるということです。
それによって、どんな問題が起きるのか。もし、過去の経験を元に現状の選択を行う場合には、選択を誤る可能性があるということです。具体的に例をだすとするならば、例えば今の仕事よりも昔の仕事の方が楽しかったから昔に戻りたいと思ったとしても、その昔の仕事を実際にしている時には様々な不満を抱えていて昔の仕事を辞めたのにもかかわらず、記憶が美化されているがために昔の仕事がすごくいいものに感じてしまい、昔と同じことを繰り返してしまったり。
そうなる可能性があることを事前に知った上で判断するのか、それとも本当に昔がよかったと勘違いして判断するかは雲泥の差だと思います。そして、嬉しいことにも気がつくことができました。
それは、今がどんなに面白くなくてつまらなくて投げ出したいような毎日だったとしても、それは将来美化されていい思い出になる日がくるということです。美化されてしまえば、今が辛く苦しいことさえもその時の判断では、「あの時があったから今がある」とそう思えるということです。そう考えると今楽しくないことも乗り来られそうな気がしてきますよね。
よくも悪くも人は、記憶を美化して生きていく。
この事実を知って、重要な選択では今回と同じようなミスを繰り返すことなく過ごしていけたらいいなと思いながら下山する楽しい登山でした。
0コメント