<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom"><title>shuiyama</title><link href="https://shuiyama.themedia.jp"></link><subtitle>すべては思いのままに。</subtitle><id>https://shuiyama.themedia.jp</id><author><name>Shu</name></author><updated>2023-03-26T00:05:19+00:00</updated><entry><title><![CDATA[26歳になって思うこと]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/42363580/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/685de61e007fe4a69d833f789a653675_a904d7495e6dd6ad8f96734e55966f3a.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/42363580</id><summary><![CDATA[今日で生まれて26年が経ったらしい。月日の流れというのは早いもので、もう26歳になるのかという感覚が強い。子供の頃に想像していた26歳とは全く違う自分に少し驚きも感じている。小さい頃に想像していた自分の人生は、この歳ではすでに結婚していて子供がいてもおかしくないと思っていたし、子供の頃見ていた26歳というのはもっと大人なのだと思っていた。実際なってみると想像していた26歳とは全く違う。普通の人生というのが何かわからないが、大学進学して地元を出た時から少しずつ自分に素直になってきたように思う。振り返ると世間的な期待に応えて生きることしか知らなかった10代から、少しずつではあるが人生なんて何でもいいんだと思えるようにシフトチェンジしてきた。実際どんな風に生きていたって、なんとかなるのだと思えるようになったのは最近のこと。誕生日を迎えて26歳になったからといって何かが急に変わるわけではない。正直、26歳の目標はと考えても何も出てこない。今年も自分の感じることに素直になり、流れに身を任せて生きていきたいと思う。それによって自分が1年後どこにいて何をしているか、どんな風になっているかは自分自身でも全くわからないし、それでいいのだと思う。いつも順風満帆で幸せを感じて生きているかと言われると、もちろんそんな時ばかりではない。なんか物足りなさを感じてもやもやしたり、もっと何かあるのではないかという焦燥感に駆られるような時もある。実際、去年もこれからどうしようかと悩んだ時期が少しあったが、きっとそんな時期も人生の中には必要なのだろう。今振り返ると過去の辛い時期があったからこそ今の自分があるのだと思う。そう考えると、常に起こっていることは自分を最善に導くために起こるべくして起こっているのだと改めて感じる。それを知っていれば、人生のすべての瞬間が愛おしく感じられるのではないだろうか。そんなことを心の中に留めておきたい。昨日、26歳を前に25歳の1年間で何があったのかを振り返っていた。どこに行き、何を見て、どんな人と出会いどんな時間を過ごしたか。振り返ると、とても多くの新たな場所を訪れ、新しい出会いがあったことは想像以上だった。本当に人に恵まれ幸せな一年を過ごせたことに、改めて感謝の気持ちが湧いてくる。両親が産んで育ててくれて、またその両親を産み育ててくれた祖父母がいて、ずっと先祖から繋いでもらって今自分が生きていることに感謝し、この生を楽しみたいと思う。]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2023-03-26T00:05:19+00:00</published><updated>2023-03-26T00:05:20+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p class="">今日で生まれて26年が経ったらしい。月日の流れというのは早いもので、もう26歳になるのかという感覚が強い。子供の頃に想像していた26歳とは全く違う自分に少し驚きも感じている。小さい頃に想像していた自分の人生は、この歳ではすでに結婚していて子供がいてもおかしくないと思っていたし、子供の頃見ていた26歳というのはもっと大人なのだと思っていた。実際なってみると想像していた26歳とは全く違う。<br></p><p class=""><br></p><p>普通の人生というのが何かわからないが、大学進学して地元を出た時から少しずつ自分に素直になってきたように思う。振り返ると世間的な期待に応えて生きることしか知らなかった10代から、少しずつではあるが人生なんて何でもいいんだと思えるようにシフトチェンジしてきた。実際どんな風に生きていたって、なんとかなるのだと思えるようになったのは最近のこと。</p><p><br></p><p class="">誕生日を迎えて26歳になったからといって何かが急に変わるわけではない。正直、26歳の目標はと考えても何も出てこない。今年も自分の感じることに素直になり、流れに身を任せて生きていきたいと思う。それによって自分が1年後どこにいて何をしているか、どんな風になっているかは自分自身でも全くわからないし、それでいいのだと思う。</p><p><br></p><p class="">いつも順風満帆で幸せを感じて生きているかと言われると、もちろんそんな時ばかりではない。なんか物足りなさを感じてもやもやしたり、もっと何かあるのではないかという焦燥感に駆られるような時もある。実際、去年もこれからどうしようかと悩んだ時期が少しあったが、きっとそんな時期も人生の中には必要なのだろう。今振り返ると過去の辛い時期があったからこそ今の自分があるのだと思う。そう考えると、常に起こっていることは自分を最善に導くために起こるべくして起こっているのだと改めて感じる。それを知っていれば、人生のすべての瞬間が愛おしく感じられるのではないだろうか。そんなことを心の中に留めておきたい。</p><p><br></p><p class="">昨日、26歳を前に25歳の1年間で何があったのかを振り返っていた。どこに行き、何を見て、どんな人と出会いどんな時間を過ごしたか。振り返ると、とても多くの新たな場所を訪れ、新しい出会いがあったことは想像以上だった。本当に人に恵まれ幸せな一年を過ごせたことに、改めて感謝の気持ちが湧いてくる。</p><p><br></p><p>両親が産んで育ててくれて、またその両親を産み育ててくれた祖父母がいて、ずっと先祖から繋いでもらって今自分が生きていることに感謝し、この生を楽しみたいと思う。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[いつから学ぶことが面白くなくなったのか]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/42168789/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/6468585f92d28b324fe464327b248fab_51a2e0bb6164b8ebe2c2047c4e31b3f6.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/42168789</id><summary><![CDATA[経済に関する本を読みながら、学生時代のことを思い出していた。今こうして自分の今日のあることを学ぶことは非常に面白い。しかし、学生時代そんな風に学ぶことが面白いという感覚を失っていた。学校での学びというのは、私自身にとってはテストでいい成績を収めなければいけないというプレッシャーといつも隣り合わせで、純粋に興味のあることを学ぶということとはかけ離れていた。自分の興味の無い分野であったとしても、そこを学ぶことでいい成績を収めることができるのであればそれは自分にとって学ぶべきことだと思い込んでいた。つまり、学ぶという行為は主体的な行動ではなく、いつも受動的で外側から自分を価値ある人間だと評価してもらうために必要なものだった。これができれば価値があると評価してやると言われれば、ただそれに従い与えられたものを学び覚えていたのだ。今考えると非常に当たり前のことだが、このような学び方をして楽しいと感じるはずがない。自分の感情は一切関係なくただただ周囲の意向に従っていたのだから。そして、大学を辞めて一般的なレールから降りたとき、初めて自由に学ぶことを選択できるようになった気がする。もう誰かを満足させるために学ぶ必要は無くなったのだ。思い出すとその頃から一つの変化があったのは、本を読むことが好きになったことだ。ただ純粋に自分の興味がある分野の読みたい本を手に取り、自分のペースで本を読み進めるという行為は、私にとっては最高の娯楽になった。そして、今までずっと本を読むことが嫌いだと思っていたことが間違いだったと知ることができた。もしあのまま一般的なレールの上を歩き続け、周りの期待を満たすために学び続けていたら学ぶことが楽しいと思える日は来なかっただろう。本を読むことが楽しいとも思えなかったと思う。今の日本の教育システムの中で育ってきた人たちの中には、同じように学ぶことが楽しさを感じない人が多いのではないかと思う。以前の自分と同じように。そして、今の社会は学ぶことによって何かの役に立たなければ、その学びは意味がないように感じられる側面もあるのではないだろうか。例えば、学びといってもそれが資格の取得に繋がったり、将来仕事に活かすことができて給料が上がったり、キャリアアップに繋がったりと。そうでなければ、その学びにはいかにも意味がないように感じさせるし、そういった評価を下したがるのが今日の世界なのだと思う。全てを数値で測れるものに置き換え、それによって評価したがる世の中というのは、一見効率的に見えて非常に大切なことを見落としているように思う。そこで私は、ただ学ぶということを推奨したい。何の見返りを求めることもなく、ただ自分の興味のある分野について学ぶ。それは、今の社会の価値観からすれば何のためにと思われるかもしれない。ただ学ぶことを楽しめばいいと私は思う。そして、本当の意味で学ぶとは楽しいと思えるのは見返りを何も求めずに学び始めたときなのではないかという気が私はしている。]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2023-03-18T00:54:05+00:00</published><updated>2023-03-18T00:54:06+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>経済に関する本を読みながら、学生時代のことを思い出していた。今こうして自分の今日のあることを学ぶことは非常に面白い。しかし、学生時代そんな風に学ぶことが面白いという感覚を失っていた。<br></p><p><br></p><p>学校での学びというのは、私自身にとってはテストでいい成績を収めなければいけないというプレッシャーといつも隣り合わせで、純粋に興味のあることを学ぶということとはかけ離れていた。自分の興味の無い分野であったとしても、そこを学ぶことでいい成績を収めることができるのであればそれは自分にとって学ぶべきことだと思い込んでいた。</p><p><br></p><p>つまり、学ぶという行為は主体的な行動ではなく、いつも受動的で外側から自分を価値ある人間だと評価してもらうために必要なものだった。これができれば価値があると評価してやると言われれば、ただそれに従い与えられたものを学び覚えていたのだ。</p><p><br></p><p>今考えると非常に当たり前のことだが、このような学び方をして楽しいと感じるはずがない。自分の感情は一切関係なくただただ周囲の意向に従っていたのだから。</p><p><br></p><p>そして、大学を辞めて一般的なレールから降りたとき、初めて自由に学ぶことを選択できるようになった気がする。もう誰かを満足させるために学ぶ必要は無くなったのだ。思い出すとその頃から一つの変化があったのは、本を読むことが好きになったことだ。ただ純粋に自分の興味がある分野の読みたい本を手に取り、自分のペースで本を読み進めるという行為は、私にとっては最高の娯楽になった。そして、今までずっと本を読むことが嫌いだと思っていたことが間違いだったと知ることができた。</p><p>もしあのまま一般的なレールの上を歩き続け、周りの期待を満たすために学び続けていたら学ぶことが楽しいと思える日は来なかっただろう。本を読むことが楽しいとも思えなかったと思う。</p><p>今の日本の教育システムの中で育ってきた人たちの中には、同じように学ぶことが楽しさを感じない人が多いのではないかと思う。以前の自分と同じように。そして、今の社会は学ぶことによって何かの役に立たなければ、その学びは意味がないように感じられる側面もあるのではないだろうか。</p><p><br></p><p>例えば、学びといってもそれが資格の取得に繋がったり、将来仕事に活かすことができて給料が上がったり、キャリアアップに繋がったりと。そうでなければ、その学びにはいかにも意味がないように感じさせるし、そういった評価を下したがるのが今日の世界なのだと思う。全てを数値で測れるものに置き換え、それによって評価したがる世の中というのは、一見効率的に見えて非常に大切なことを見落としているように思う。</p><p><br></p><p>そこで私は、ただ学ぶということを推奨したい。何の見返りを求めることもなく、ただ自分の興味のある分野について学ぶ。それは、今の社会の価値観からすれば何のためにと思われるかもしれない。ただ学ぶことを楽しめばいいと私は思う。そして、本当の意味で学ぶとは楽しいと思えるのは見返りを何も求めずに学び始めたときなのではないかという気が私はしている。</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[人は無いものを欲しがる。]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/42121292/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/d94e4ecffd77cc6a0ff45b76bbe0dc30_2f7ed0b6662778292c698f4b729735bc.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/42121292</id><summary><![CDATA[『人は無いものを欲しがる』一見当たり前のように思えるが、それとは少し違う。あるときは自由が欲しいと思い、自由になるとやるべきことが欲しいと言う。人は欲しいものを手に入れれば幸せになれると考えているが、本質はそうではない。結局は今あるものに目を向けそこから幸せにならなければ、幸せというのはいつまでもあなたのもとに訪れないだろう。]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2023-03-15T02:39:53+00:00</published><updated>2023-03-15T02:44:26+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[人間性に惹かれる]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/42111767/"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/42111767</id><summary><![CDATA[連日WBCで盛り上がっている今日この頃。ネット上でもよくWBC関連の情報が流れてくるが、たまたまYoutubeでダルビッシュ有選手のインタビュー動画を見つけた。その動画を見て感じるものがあったので、残しておこうかなと。内容は気になる方には動画を見ていただきたいが、ダルビッシュ有選手から滲み出る人間としての器の大きさというか、人格に思わず引き込まれた。普段誰かに憧れたり惹かれたりすることはほとんどない。特に同性の芸能人やスポーツ選手を見ても何も思わないが、時々とても強く惹かれ気になる人がいる。それが、今回のダルビッシュ有選手であったり、大谷翔平選手、イチロー選手であったり、ボクシングの井上尚弥選手であったり。選手とし全員世界のトップアスリートであることは間違いないが、惹かれるのはそのスポーツの才能や能力ではなく、人間性・人格・人間としての器。そこまで多くのことを知ることはできないが、インタビューなどで滲み出る雰囲気がどこか常人とは違うように感じてしまう。個人的にはそんな雰囲気をこの4人からは感じてしまう。「野球ってほんと人生の一部なので、その前に人間であることがすごく大事だと思っている。」「自分は自分の価値をわかっている。何が良くて何が悪いのか。だから言われたことよって惑わされることはない。」ダルビッシュ選手が話しているのを聞いていると色々と考えさせられることがあるなと思うと同時、こんな成熟の仕方をしていきたいと思った。素直にかっこいいなと。]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2023-03-13T23:40:13+00:00</published><updated>2023-03-13T23:48:47+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>連日WBCで盛り上がっている今日この頃。ネット上でもよくWBC関連の情報が流れてくるが、たまたまYoutubeでダルビッシュ有選手のインタビュー動画を見つけた。その動画を見て感じるものがあったので、残しておこうかなと。</p><p><br></p><p>内容は気になる方には動画を見ていただきたいが、ダルビッシュ有選手から滲み出る人間としての器の大きさというか、人格に思わず引き込まれた。普段誰かに憧れたり惹かれたりすることはほとんどない。特に同性の芸能人やスポーツ選手を見ても何も思わないが、時々とても強く惹かれ気になる人がいる。それが、今回のダルビッシュ有選手であったり、大谷翔平選手、イチロー選手であったり、ボクシングの井上尚弥選手であったり。</p><p><br></p><p>選手とし全員世界のトップアスリートであることは間違いないが、惹かれるのはそのスポーツの才能や能力ではなく、人間性・人格・人間としての器。そこまで多くのことを知ることはできないが、インタビューなどで滲み出る雰囲気がどこか常人とは違うように感じてしまう。個人的にはそんな雰囲気をこの4人からは感じてしまう。</p><p><br></p><p>「野球ってほんと人生の一部なので、その前に人間であることがすごく大事だと思っている。」</p><p><br></p><p>「自分は自分の価値をわかっている。何が良くて何が悪いのか。だから言われたことよって惑わされることはない。」</p><p><br></p><p>ダルビッシュ選手が話しているのを聞いていると色々と考えさせられることがあるなと思うと同時、こんな成熟の仕方をしていきたいと思った。素直にかっこいいなと。</p>
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		<div>
			<p>URL: <a href="https://www.youtube.com/watch?v=fIWQ1wWulcA">www.youtube.com
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				</a>
			</p>
		</div>]]></content></entry><entry><title><![CDATA[ひとつのきっかけになった日の話]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40973560/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/30c2d6f9b42599b88c92999ef06047d5_7e785362df795b64521da91432446d69.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40973560</id><summary><![CDATA[これは2022年11月のこと。東京で作家の本田健さんのセミナーに参加した。セミナーは、引き寄せについてだったと思う。セミナーに参加しようと思ったきっかけは、書店で本田健さんが翻訳した『引き寄せの法則』の本を購入し読んだことだった。引き寄せの法則というのは聞いたことがあったが、書籍で読んだのはこれが初めてだった。その本を読んだ後、ふと本田健さんに会ってみたいと思い調べたところ、このセミナーを見つけたのだ。本田健さんについては、20歳前後の頃に『ユダヤ人大富豪の教え』という本を初めて読んで知った。その後も何冊か書籍を読んだことはあったが会ってみたいと思ったのは初めてだった。なぜ今回会ってみたいと思ったのかは自分でもわからない。セミナーの内容は正直あまり覚えていないが、それはそれでいい。あのセミナーの空気感を体験しに行ったのだと思う。セミナー中にはグループワークのような時間もあり、席の近い方達と話をする機会もあった。本田健さんのセミナーに参加する方々はこういうことなんだなというのも僕の中では一つのいい体験だったと思う 。空気感を経験するという意味ではすごくいい時間だった。しかし振り返ると、あのときのセミナー会場は自分にとってはすごく居心地が悪く感じた。セミナー後の懇親会にも参加する予定だったが、この居心地の悪さで参加しても仕方ないから帰ろうかとも考えるほど。参加費は支払っていたがそれでも行くのにためらいを感じた。その時は、とにかく自分自身に素直に、ありのままの自分でいようと考えた。居心地が悪いと感じていることも押し殺して、場に馴染むように自分を作ることもできる。でも、それはしなかった。もう自分を作ったり、見栄や外面を気にして生きるのは終わりにしたいと思っていた。そして、懇親会に行ってただ美味しいご飯を食べて帰ろうとそんな気持ちで参加した。そして、ありのままの自分でセミナーに参加したことによって出会いがあった。その出会いとは、その後カンボジアや東南アジアに旅するきっかけになり、また今回オーストラリアに行くきっかけにもつながっていく。 この時改めて、ありのままの自分で人と出会うことの大切さというのを身に染みて感じた。そして、今まで自分を良く見せようと取り繕って人と接していたその代償は何だったのだろうかと考えた。最初からありのままの自分で出会い仲良くなった人とは、そのままの自分で今後も付き合っていけるそれが何よりも財産なのかな。自分をよく見せようとして人と関わっているとき、自分自身もしんどく相手もいい気持ちはしない。自分をよく見せた方がいいというのは幻想なのだと思う。とにもかくにも、その懇親会で出会ったのが NPO 法人グローブジャングルの代表をされている森絵美子さんだ。NPO 法人グローブジャングルというのは、カンボジアで孤児院やフリースクールを運営している団体だ。絵美子さんと出会ってお話を聞いているうちに、ここまで絵美子さんを魅了しているカンボジアに行ってみたくなった。懇親会で夢中になって喋っている間に僕は気づいたら聞いていたら「カンボジアに行けませんか」と。そして、絵美子さんがカンボジアに行くツアーが2週間後にあることを聞き、その場で「参加したいです」と伝えた。ここから、また私の人生が動き出した。カンボジアに行った時の話はまた別で書こうと思うが、この出会いは個人的にはかなり重要な出会いだったと思う。そのきっかけを生み出したのは、ただ自分のありのままを出したということだ。]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2023-02-02T04:31:18+00:00</published><updated>2023-02-02T04:31:19+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p class="">これは2022年11月のこと。東京で作家の本田健さんのセミナーに参加した。セミナーは、引き寄せについてだったと思う。</p><p class=""><br></p><p>セミナーに参加しようと思ったきっかけは、書店で本田健さんが翻訳した『引き寄せの法則』の本を購入し読んだことだった。引き寄せの法則というのは聞いたことがあったが、書籍で読んだのはこれが初めてだった。その本を読んだ後、ふと本田健さんに会ってみたいと思い調べたところ、このセミナーを見つけたのだ。</p><p class=""><br></p><p>本田健さんについては、20歳前後の頃に『ユダヤ人大富豪の教え』という本を初めて読んで知った。その後も何冊か書籍を読んだことはあったが会ってみたいと思ったのは初めてだった。なぜ今回会ってみたいと思ったのかは自分でもわからない。</p><p><br></p><p>セミナーの内容は正直あまり覚えていないが、それはそれでいい。あのセミナーの空気感を体験しに行ったのだと思う。セミナー中にはグループワークのような時間もあり、席の近い方達と話をする機会もあった。本田健さんのセミナーに参加する方々はこういうことなんだなというのも僕の中では一つのいい体験だったと思う 。</p><p class=""><br></p><p class="">空気感を経験するという意味ではすごくいい時間だった。しかし振り返ると、あのときのセミナー会場は自分にとってはすごく居心地が悪く感じた。セミナー後の懇親会にも参加する予定だったが、この居心地の悪さで参加しても仕方ないから帰ろうかとも考えるほど。参加費は支払っていたがそれでも行くのにためらいを感じた。</p><p><br></p><p class="">その時は、とにかく自分自身に素直に、ありのままの自分でいようと考えた。居心地が悪いと感じていることも押し殺して、場に馴染むように自分を作ることもできる。でも、それはしなかった。もう自分を作ったり、見栄や外面を気にして生きるのは終わりにしたいと思っていた。そして、懇親会に行ってただ美味しいご飯を食べて帰ろうとそんな気持ちで参加した。</p><p><br></p><p class="">そして、ありのままの自分でセミナーに参加したことによって出会いがあった。その出会いとは、その後カンボジアや東南アジアに旅するきっかけになり、また今回オーストラリアに行くきっかけにもつながっていく。 </p><p><br></p><p class="">この時改めて、ありのままの自分で人と出会うことの大切さというのを身に染みて感じた。そして、今まで自分を良く見せようと取り繕って人と接していたその代償は何だったのだろうかと考えた。最初からありのままの自分で出会い仲良くなった人とは、そのままの自分で今後も付き合っていけるそれが何よりも財産なのかな。自分をよく見せようとして人と関わっているとき、自分自身もしんどく相手もいい気持ちはしない。自分をよく見せた方がいいというのは幻想なのだと思う。</p><p><br></p><p class="">とにもかくにも、その懇親会で出会ったのが NPO 法人グローブジャングルの代表をされている森絵美子さんだ。NPO 法人グローブジャングルというのは、カンボジアで孤児院やフリースクールを運営している団体だ。絵美子さんと出会ってお話を聞いているうちに、ここまで絵美子さんを魅了しているカンボジアに行ってみたくなった。懇親会で夢中になって喋っている間に僕は気づいたら聞いていたら「カンボジアに行けませんか」と。そして、絵美子さんがカンボジアに行くツアーが2週間後にあることを聞き、その場で「参加したいです」と伝えた。ここから、また私の人生が動き出した。カンボジアに行った時の話はまた別で書こうと思うが、この出会いは個人的にはかなり重要な出会いだったと思う。</p><p><br></p><p>そのきっかけを生み出したのは、ただ自分のありのままを出したということだ。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[好きな言葉]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40958017/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/f371169e72bf8933a29f8cd59e474cb6_dc2ab3d3bfd98c71e65ebd34fa334bd8.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40958017</id><summary><![CDATA[ここには、ただただ今まで自分が触れた好きな言葉を残したいと思う。そして、随時更新していく。人生とは、美しい刺繍を裏から見ているようなものだ。﻿-ティヤール・ド・シャルダン人生は近くで見ると悲劇だが、﻿遠くから見ると喜劇である。-﻿チャールズ・チャップリン人生は競争ではない。誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいい。﻿(『嫌われる勇気』より)Man lives freely only by his readiness to die.（死ぬ覚悟ができて初めて人は自由になる。）幸せに成功したければ、自分らしい人生を生きることに集中して、お金のことや成功することを忘れるのが大切なんだよ。If you think you can, you think you can't, you're right! - Henry Ford﻿﻿（自分にはできると思うか、自分にはできないと思うか。いずれの場合も思ったとおりの結果になる。- ヘンリー・フォード）ひとりで生きていけるいけるふたりが、それでも一緒にいるのが夫婦だと思う。ほぼすべての人は､﻿自分が見たいものしか見ない。-﻿ユリウス・カエサル深沈厚重なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄なるは、これ第二等の資質。聡明才弁なるは、これ第三等の資質。(呂新吾　著書『呻吟語』より)]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2023-01-31T13:59:40+00:00</published><updated>2023-02-02T02:31:25+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<div>ここには、ただただ今まで自分が触れた好きな言葉を残したいと思う。そして、随時更新していく。</div><div><br></div><blockquote><div>人生とは、美しい刺繍を裏から見ているようなものだ。﻿-ティヤール・ド・シャルダン</div></blockquote><div><br></div><blockquote>人生は近くで見ると悲劇だが、﻿遠くから見ると喜劇である。-﻿チャールズ・チャップリン<br></blockquote><div><br></div><blockquote><div>人生は競争ではない。誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいい。<br>﻿(『嫌われる勇気』より)</div></blockquote><div><br></div><blockquote>Man lives freely only by his readiness to die.<br>（死ぬ覚悟ができて初めて人は自由になる。）<br></blockquote><div><br></div><blockquote><div>幸せに成功したければ、自分らしい人生を生きることに集中して、お金のことや成功することを忘れるのが大切なんだよ。</div></blockquote><div><br></div><blockquote>If you think you can, you think you can't, you're right! - Henry Ford<br>﻿﻿（自分にはできると思うか、自分にはできないと思うか。いずれの場合も思ったとおりの結果になる。- ヘンリー・フォード）</blockquote><br><p><br></p><font color="#999999"><span style="caret-color: rgb(153, 153, 153);"><br></span></font><blockquote>ひとりで生きていけるいけるふたりが、それでも一緒にいるのが夫婦だと思う。<br></blockquote><blockquote><div>ほぼすべての人は､﻿自分が見たいものしか見ない。-﻿ユリウス・カエサル</div></blockquote><font color="#999999"><span style="caret-color: rgb(153, 153, 153);"><br></span></font><blockquote><div>深沈厚重なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄なるは、これ第二等の資質。聡明才弁なるは、これ第三等の資質。<br></div><div>(呂新吾　著書『呻吟語』より)</div></blockquote>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[片付けと物質主義]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40890341/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/9af7671a3d9d4d0c92385f601625da9b_bb960a4ea7f30ced4d9d89d2e4b77ef6.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40890341</id><summary><![CDATA[僕の持ち物は一般的には少ない方だと思う。そして、物欲も無いと言えば嘘になるがほとんどない。特に何か物質が欲しいという感情が湧いてくることは普通に過ごしていればなく、普段趣味で購入するものは本くらいだろうか。何かを購入する時は、ほとんど壊れたり必要だけど持っていない時など。とりあえず今あるもので何とかならないか試行錯誤して、それでも必要なものは手に入れようかとなる。個人的な感情としては、出来るだけ持ち物を増やしたくないし常に身軽で在りたいと思う。もう少し若い頃は、何か特定のものを手にすることによって幸せになれると考えていたこともあった。でも、段々と価値観も変化してきて物に執着することなく自由でいられる方が自分は幸せを感じることができるとわかった。このような経緯で、周りからはミニマリスト寄りに見えるような状態にいる。ミニマリストに憧れた時期もあったが、別に今はそうでもない。ただ、幸せを自分の内面に見出したことによって自動的に持ち物が減ってきただけのこと。家に物が溢れていて片付けられないという人がいる。そして、世の中には片付けの方法を紹介する書籍や動画がたくさんあり、断捨離が流行ったりもしているように思う。物を減らしたり片付けしたりすることはいい影響はたくさんあると思うが、それは表面的であって本質ではないと思う。「物への執着」と「物質主義」的な世の中に浸っていることが本質ではないだろうか。それが良いとか悪いとかジャッジするようなことをしたいわけではないので、そこは理解していただけると嬉しいが、物質主義から解放されれば自動的に物への執着もなくなっていき、必要なものやお気に入りのものだけを持つようになるのではないだろうか。本当に必要なものととお気に入りのものだけを持っている状態というのが、結果的に物が少なくなりすっきり身軽にいられるミニマリストに近いような状態だと思うのだ。「ミニマリストにはなりたくない。禁欲主義のように暮らしたいわけじゃない。」そんな風にいう人にも会ったことは何度かある。ミニマリストになろうとする必要もないし、禁欲主義を実践する必要もない。ただ幸せのベクトルと物質主義のように外側に求めるのではなく、自分の内面に向けることはこれから必要な変化なのではないかと思う。急に話が飛躍するが、物質主義に支えられた今の世界のままで、地球と人類が未来に続いていくことは長い目で見ると難しいように思う。]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2023-01-26T03:51:07+00:00</published><updated>2023-02-02T04:33:52+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>僕の持ち物は一般的には少ない方だと思う。そして、物欲も無いと言えば嘘になるがほとんどない。特に何か物質が欲しいという感情が湧いてくることは普通に過ごしていればなく、普段趣味で購入するものは本くらいだろうか。</p><p><br></p><p>何かを購入する時は、ほとんど壊れたり必要だけど持っていない時など。とりあえず今あるもので何とかならないか試行錯誤して、それでも必要なものは手に入れようかとなる。個人的な感情としては、出来るだけ持ち物を増やしたくないし常に身軽で在りたいと思う。</p><p><br></p><p>もう少し若い頃は、何か特定のものを手にすることによって幸せになれると考えていたこともあった。でも、段々と価値観も変化してきて物に執着することなく自由でいられる方が自分は幸せを感じることができるとわかった。</p><p><br></p><p>このような経緯で、周りからはミニマリスト寄りに見えるような状態にいる。ミニマリストに憧れた時期もあったが、別に今はそうでもない。ただ、幸せを自分の内面に見出したことによって自動的に持ち物が減ってきただけのこと。</p><p><br></p><p>家に物が溢れていて片付けられないという人がいる。そして、世の中には片付けの方法を紹介する書籍や動画がたくさんあり、断捨離が流行ったりもしているように思う。物を減らしたり片付けしたりすることはいい影響はたくさんあると思うが、それは表面的であって本質ではないと思う。</p><p><br></p><p>「物への執着」と「物質主義」的な世の中に浸っていることが本質ではないだろうか。それが良いとか悪いとかジャッジするようなことをしたいわけではないので、そこは理解していただけると嬉しいが、物質主義から解放されれば自動的に物への執着もなくなっていき、必要なものやお気に入りのものだけを持つようになるのではないだろうか。</p><p><br></p><p>本当に必要なものととお気に入りのものだけを持っている状態というのが、結果的に物が少なくなりすっきり身軽にいられるミニマリストに近いような状態だと思うのだ。</p><p><br></p><p>「ミニマリストにはなりたくない。禁欲主義のように暮らしたいわけじゃない。」そんな風にいう人にも会ったことは何度かある。ミニマリストになろうとする必要もないし、禁欲主義を実践する必要もない。ただ幸せのベクトルと物質主義のように外側に求めるのではなく、自分の内面に向けることはこれから必要な変化なのではないかと思う。</p><p><br></p><p>急に話が飛躍するが、物質主義に支えられた今の世界のままで、地球と人類が未来に続いていくことは長い目で見ると難しいように思う。</p><p><br></p>
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		</div>
		
]]></content></entry><entry><title><![CDATA[ただ書きたいことを書けばいい。]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40873328/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/9ec0eb085abd8027acbb481f4bbf03c6_54107b7c367ec6a5c23589261753484a.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40873328</id><summary><![CDATA[何か文章を書きたいと思うことはある。しかし、それが有益でなければいけないと思った途端に、書くことが面倒くさいと感じられる。それも、効率を追い求めたり経済社会の影響で有益でなければならないという固定概念があるのだろうか。例えば、もし何かをやりたいと思ったとしてもそれがお金にならないのであれば意味がないと考えてしまうような。もしこの世界がお金になることだけが価値があり、お金にならないことはすべて価値がなく無駄だと考えられ、その無駄が全て無くなってしまったらこの世界は寂しいと思う。個人的には、お金とは関係ないことにこそ人生を豊かにするものが詰まっていると思うのだ。というわけで、これからは堂々と有益ではない文章を自分の好きなように綴ろうと思う。誰に見られる見られないとか、誰かの役に立つとか立たないとかではなく、ただ自分が書きたいから書くということだ。そもそも誰にも見られることがない前提のくせにこんなことを最初に書いているのには、自分自身への宣言の意味もある。すぐにこんなことをしてもお金にならないのに書く意味ないじゃないかと考え始めてしまうからだ。そんな自分へのメッセージも込めて、書きたいことを書こうと。]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2023-01-25T04:19:00+00:00</published><updated>2023-02-02T04:34:43+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>何か文章を書きたいと思うことはある。しかし、それが有益でなければいけないと思った途端に、書くことが面倒くさいと感じられる。それも、効率を追い求めたり経済社会の影響で有益でなければならないという固定概念があるのだろうか。例えば、もし何かをやりたいと思ったとしてもそれがお金にならないのであれば意味がないと考えてしまうような。</p><p><br></p><p>もしこの世界がお金になることだけが価値があり、お金にならないことはすべて価値がなく無駄だと考えられ、その無駄が全て無くなってしまったらこの世界は寂しいと思う。個人的には、お金とは関係ないことにこそ人生を豊かにするものが詰まっていると思うのだ。</p><p><br></p><p>というわけで、これからは堂々と有益ではない文章を自分の好きなように綴ろうと思う。誰に見られる見られないとか、誰かの役に立つとか立たないとかではなく、ただ自分が書きたいから書くということだ。</p><p><br></p><p>そもそも誰にも見られることがない前提のくせにこんなことを最初に書いているのには、自分自身への宣言の意味もある。すぐにこんなことをしてもお金にならないのに書く意味ないじゃないかと考え始めてしまうからだ。そんな自分へのメッセージも込めて、書きたいことを書こうと。</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[生きる使命についての気づき]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878764/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/4fbdbd7f2db597208674695e1599d729_21cc29be1ce4ff554aac3d05ca78aeff.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878764</id><summary><![CDATA[「自分の生きている使命とは何か」といつからかずっと考えてきたけれど、それがずっとわからなかった。何か「これ！」といった職業を最初は思い浮かべていたが、なかなかそんな風に感じられる様な職業に出会うこともなかった。そして生きる使命を探しながらも、同時に「なぜ生きているのか」という生きる目的も探していたように思う。ただ、生きる目的に関しては18歳の時に「人間は幸せになるために生きている」と、ウルグアイの元大統領で世界一貧しい大統領と呼ばれていたホセ・ムヒカ氏のスピーチを聞いてそう思った。そうは思ったものの実際には、「お金を稼げば幸せになれる」とか「社会的に認められたら幸せになれる」とか、今の自分ではない何者かにならなければ幸せになることはできないと思っていた。そして何者かになることを、ずっと追い求めていたように思う。１年半ほど前に霊視の先生に見てもらったとき、生きる使命について質問したことがあり「使命とは自分らしい方法で、世の中の役に立つこと」という風にその方は仰っていた。その答えに納得感はあったものの、実際にどうすればいいのかわからない状況で表面的に理解したつもりになり、真意を掴めていなかったと最近思い返してみてそう感じる。そして先日ご縁があってカンボジアに行くツアーに参加させていただき、色々な方に出会いお話させていただく中で新たな気づきを得ることができた。今まで使命とは”職業”とか”実現したい世界”だったりそんなはっきりとした”これ”といったものを想像して、ずっと今の自分から何者かになることを目指してきたが、それが一番に自分の使命から遠ざけているのだと気づいた。そして生きる使命というのはそういうことではなく、”ありのままの自分で生きていく”ということ自体が使命であり、「在り方を磨き生きていく過程で湧き上がることをする」というそれだけでいいのだということに気づいた。ずっと周りや世間の期待に応えるように生きてきて何者かを目指して生きていた自分にとっては、「ありのままでいいんだ」ということが初めて自分の中で実感できた。何者かになることを目指して生きるということは、外的な要因で自分自身の価値や幸福度が決まり、外側の状況に大きく影響されて生きることになるとこの数年の間にすごく実感していた。それはとても生きやすいとは言えず、逆にとても生きづらさを感じることも多かった。そんな中で今回新しく見えてきた「ありのままの自分で生きる」ということは、今までの生きづらさを感じる生き方とは違いどんな自分も信頼して生きていくことだと思う。今の自分ではない何者かになることを目指さない。どう生きるかに正解なんて存在しないのだから、ありのままの自分が感じるままに自由に生きよう。]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2022-12-24T11:35:11+00:00</published><updated>2023-02-02T04:36:33+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>「自分の生きている使命とは何か」といつからかずっと考えてきたけれど、それがずっとわからなかった。</p><p><br></p><p>何か「これ！」といった職業を最初は思い浮かべていたが、なかなかそんな風に感じられる様な職業に出会うこともなかった。</p><p><br></p><p>そして生きる使命を探しながらも、同時に「なぜ生きているのか」という生きる目的も探していたように思う。</p><p><br></p><p>ただ、生きる目的に関しては18歳の時に「人間は幸せになるために生きている」と、ウルグアイの元大統領で世界一貧しい大統領と呼ばれていたホセ・ムヒカ氏のスピーチを聞いてそう思った。</p><p><br></p><p>そうは思ったものの実際には、「お金を稼げば幸せになれる」とか「社会的に認められたら幸せになれる」とか、今の自分ではない何者かにならなければ幸せになることはできないと思っていた。</p><p><br></p><p>そして何者かになることを、ずっと追い求めていたように思う。</p><p><br></p><p>１年半ほど前に霊視の先生に見てもらったとき、生きる使命について質問したことがあり「使命とは自分らしい方法で、世の中の役に立つこと」という風にその方は仰っていた。</p><p><br></p><p>その答えに納得感はあったものの、実際にどうすればいいのかわからない状況で表面的に理解したつもりになり、真意を掴めていなかったと最近思い返してみてそう感じる。</p><p><br></p><p>そして先日ご縁があってカンボジアに行くツアーに参加させていただき、色々な方に出会いお話させていただく中で新たな気づきを得ることができた。</p><p><br></p><p>今まで使命とは”職業”とか”実現したい世界”だったりそんなはっきりとした”これ”といったものを想像して、ずっと今の自分から何者かになることを目指してきたが、それが一番に自分の使命から遠ざけているのだと気づいた。</p><p><br></p><p>そして生きる使命というのはそういうことではなく、”ありのままの自分で生きていく”ということ自体が使命であり、「在り方を磨き生きていく過程で湧き上がることをする」というそれだけでいいのだということに気づいた。</p><p><br></p><p>ずっと周りや世間の期待に応えるように生きてきて何者かを目指して生きていた自分にとっては、「ありのままでいいんだ」ということが初めて自分の中で実感できた。</p><p><br></p><p>何者かになることを目指して生きるということは、外的な要因で自分自身の価値や幸福度が決まり、外側の状況に大きく影響されて生きることになるとこの数年の間にすごく実感していた。</p><p><br></p><p>それはとても生きやすいとは言えず、逆にとても生きづらさを感じることも多かった。</p><p><br></p><p>そんな中で今回新しく見えてきた「ありのままの自分で生きる」ということは、今までの生きづらさを感じる生き方とは違いどんな自分も信頼して生きていくことだと思う。</p><p><br></p><p>今の自分ではない何者かになることを目指さない。どう生きるかに正解なんて存在しないのだから、ありのままの自分が感じるままに自由に生きよう。</p>
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		<div>
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		</div>
		
]]></content></entry><entry><title><![CDATA[人生の時間の使い方を考える｜映画『TIME』]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878738/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/1137a3187b0e3d564b4e905a996a5420_4ba86ab6357682327f808204c01c5629.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878738</id><summary><![CDATA[映画の世界観]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2022-08-26T11:20:58+00:00</published><updated>2023-02-02T04:37:16+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<h3 class="">映画の世界観</h3>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<p class="">全ての人類は25歳で成長が止まり、【時間＝通貨】となった世界。</p><p class=""><br></p><p class="">貧しい者の余命は数時間、裕福な者の余命は100年以上。自分の余命の時間を通貨として支払い、自分の時間がゼロになれば死ぬ。貧しい者はすぐに時間が尽きてしまい、裕福な者は永遠に生きる世界。</p><p class=""><br></p><p class="">裕福な者は、永遠に生きるために貧しい者か時間を搾取し、貧しい者は時間を捧げ死んでいく世界。この歪んだ世界の仕組みに主人公は立ち向かう。</p><p class=""><br></p><h3 class="">現実世界での時間を考えさせられる</h3>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<p class="">この映画を見て率直に思ったことは、今の実際の世界もあまり変わらないということ。多くの人にとって現実生きる世界も、自分のやりたくない仕事のために人生の時間を使っている。お金がない状況に恐怖感を植え付け、もっとお金を稼がないと幸せになれないという洗脳を知らないうちにされているように感じる。特に今の世の中は、お金を使うことに憧れを抱きやすい。</p><p class=""><br></p><p class="">そんなことをしているうちに人生の時間を気づかないうちに搾取され浪費する。大袈裟かもしれないが、このような状況が現実の世界でも起こっており映画を見ることで改めて考えるきっかけになる。</p><p class=""><br></p><p class="">現実の世界では直接的に【時間＝通貨】ではないが、実際多くの人はお金を稼ぐために時間を売っていることを考えると大枠はほとんど変わらない。実質時給から換算してお金を払っているに等しい。むしろ現実世界の方が、通貨を通して支払いをするため時間を支払いしているという感覚が薄く、一見するとわかりにくくなっていると感じる。</p><p class=""><br></p><p>そんな資本主義による現在の世界の在り方を考えるきっかけにぜひ一度見てみて欲しい。</p><p><br></p>
		</div>
	
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/1137a3187b0e3d564b4e905a996a5420_4ba86ab6357682327f808204c01c5629.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		
]]></content></entry><entry><title><![CDATA[ミニマリズムについて]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878205/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/1f1430f5eeb5125d0a31571ac76613f9_60c1303fe2e6643ab67bc30e572e2347.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878205</id><summary><![CDATA[ここ１週間くらいの間で、Netflixにあった『ミニマリズム』についてのドキュメンタリーを視聴した。その感想を少し残しておこうと思う。個人的には、一般的にミニマリズムと言われる様な必要最低限の持ち物だけのシンプルな暮らしというのは好きだ。余計なものを断捨離して所有するものをシンプルにすることは、すごく生きやすいと自分自身は感じる。物欲に縛られるのはやめようと初めて思ったのは高校生3年生くらいの時だったと思う。きっかけは、ウルグアイの元大統領で、世界一貧しい大統領と言われていた『ホセ・ムヒカ』氏のスピーチを聞いたことだった。これほどまで必要なものが溢れている世界で、際限なくもっともっとと欲望に駆られ満たされずに生きていくことにその時から疑問を持つようになった。今でもあのスピーチを聞いたときのなんとも言えない感情は忘れられない。オンラインで欲しいものがいつでも購入できる便利な時代に生きているが、それは常に欲求を刺激され続けることにもなりうると思う。SNSも発達し、スマートフォンからは一人ひとりにパーソナライズされた広告が絶え間なく流れてくる。そして、SNS上でも身近な友達から世界中の人々までSNSが存在しなかったときでは考えられないほど多くの人たちの生活の一部が垣間見える様になった。SNSの普及によってもちろんいい面もたくさんあるが、一方でより他人と比較して生きていくことに陥りやすい世界でもあると思う。他の自分より豊かで幸せそうな人たちの生活が常に視界に入り、そんな人たちと自分の現状を比較して不満を常に抱えて生きる時代だと思う。そのギャップを埋めるためにもっともっとと多くのものを求め、求めているものが手に入れば幸せになれると信じている。しかし、実際は求めていたものを手に入れたとしても満たされることはなく、さらに自分より裕福そうに見える、少なくてもSNS上では充実してそうな人たちとの比較が始まるからだ。そんな時代において『ミニマリズム』と言われる考え方は、この世界でより幸せに生きていく上で有効な生き方、考え方の一つであると思う。自分にとって本当に価値のあるものだけを残し、それ以外のものを処分する。捨てるたびに、自由を感じることができる。どれだけ物質に縛られていたのかということを、捨ててから初めて知ることができるだろう。自分にとって本当に大切な価値あるもの以外を処分して、シンプルにしてから初めて自分の人生が始まると言っても過言ではないように思う。実際に今まで購入してきたものは本当に自分が本当に欲しいと思ったから購入したものか、他人や世間からの目を気にして購入したものか、マーケティングによってそれを買えば幸せになれると信じ込んで買ったものか、断捨離すれば嫌でも真剣に考えることになる。そのときどれだけ世間からおどらされていたのかということに気づくことができるだろう。多くの人は、幸せをお金で買おうとする。しかし、幸せはそこにあるのだと思う。自分にとって幸せとは何か？という問いについて真剣に考えるきっかけとして、ミニマリズム的な考え方を採用することは個人的にはすごく役立った。自分の部屋には、自分にとって価値のあるものしかない。そうすることでシンプルに暮らすことができ、自分にとって本当に大切な健康、学習、創造、運動などに集中することができる。]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2022-06-14T13:10:09+00:00</published><updated>2023-01-25T10:32:39+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/1f1430f5eeb5125d0a31571ac76613f9_60c1303fe2e6643ab67bc30e572e2347.jpg?width=960" width="100%">
		</div>
		

		<div>
			<div>ここ１週間くらいの間で、Netflixにあった『ミニマリズム』についてのドキュメンタリーを視聴した。その感想を少し残しておこうと思う。</div><div><br></div><div>個人的には、一般的にミニマリズムと言われる様な必要最低限の持ち物だけのシンプルな暮らしというのは好きだ。余計なものを断捨離して所有するものをシンプルにすることは、すごく生きやすいと自分自身は感じる。</div><div><br></div><div>物欲に縛られるのはやめようと初めて思ったのは高校生3年生くらいの時だったと思う。きっかけは、ウルグアイの元大統領で、世界一貧しい大統領と言われていた『ホセ・ムヒカ』氏のスピーチを聞いたことだった。</div><div><br></div><div>これほどまで必要なものが溢れている世界で、際限なくもっともっとと欲望に駆られ満たされずに生きていくことにその時から疑問を持つようになった。今でもあのスピーチを聞いたときのなんとも言えない感情は忘れられない。</div><div><br></div><div>オンラインで欲しいものがいつでも購入できる便利な時代に生きているが、それは常に欲求を刺激され続けることにもなりうると思う。SNSも発達し、スマートフォンからは一人ひとりにパーソナライズされた広告が絶え間なく流れてくる。</div><div><br></div><div>そして、SNS上でも身近な友達から世界中の人々までSNSが存在しなかったときでは考えられないほど多くの人たちの生活の一部が垣間見える様になった。SNSの普及によってもちろんいい面もたくさんあるが、一方でより他人と比較して生きていくことに陥りやすい世界でもあると思う。</div><div><br></div><div>他の自分より豊かで幸せそうな人たちの生活が常に視界に入り、そんな人たちと自分の現状を比較して不満を常に抱えて生きる時代だと思う。そのギャップを埋めるためにもっともっとと多くのものを求め、求めているものが手に入れば幸せになれると信じている。</div><div><br></div><div>しかし、実際は求めていたものを手に入れたとしても満たされることはなく、さらに自分より裕福そうに見える、少なくてもSNS上では充実してそうな人たちとの比較が始まるからだ。</div><div><br></div><div>そんな時代において『ミニマリズム』と言われる考え方は、この世界でより幸せに生きていく上で有効な生き方、考え方の一つであると思う。</div><div><br></div><div>自分にとって本当に価値のあるものだけを残し、それ以外のものを処分する。捨てるたびに、自由を感じることができる。どれだけ物質に縛られていたのかということを、捨ててから初めて知ることができるだろう。</div><div><br></div><div>自分にとって本当に大切な価値あるもの以外を処分して、シンプルにしてから初めて自分の人生が始まると言っても過言ではないように思う。実際に今まで購入してきたものは本当に自分が本当に欲しいと思ったから購入したものか、他人や世間からの目を気にして購入したものか、マーケティングによってそれを買えば幸せになれると信じ込んで買ったものか、断捨離すれば嫌でも真剣に考えることになる。そのときどれだけ世間からおどらされていたのかということに気づくことができるだろう。</div><div><br></div><div>多くの人は、幸せをお金で買おうとする。</div><div>しかし、幸せはそこにあるのだと思う。</div><div><br></div><div>自分にとって幸せとは何か？という問いについて真剣に考えるきっかけとして、ミニマリズム的な考え方を採用することは個人的にはすごく役立った。自分の部屋には、自分にとって価値のあるものしかない。そうすることでシンプルに暮らすことができ、自分にとって本当に大切な健康、学習、創造、運動などに集中することができる。</div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[２０２２年]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878239/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/56523e5369a45a38e16a54dce58e6fef_aefbbfb4183479550c49153c1f5189b1.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878239</id><summary><![CDATA[新年明けましておめでとうございます。今年の元旦もここ3年くらい変わらずの元旦を過ごしてました。特に正月らしいことをするわけでもなく、気づけば年が変わっているという感じで仕事して。去年を振り返ると、相変わらずいろいろなことがあったなと。特に7月からの2021年後半戦。楽しいことも大変なことも沢山あり、大きな人生の転換期を迎えたような感覚。人生を小説にするとしたら、目次にも載るであろう期間といったところでしょうか。12月には大きな決断もして、今年は住む場所も仕事の形も変わり、また大きく動きそうな予感がしています。ここ3年間くらいは、一般的に言えば安定とはかけ離れたような生活をしていて、安定し始めたかと思えば自分で壊して。あーでもない、こうでもないという期間かなと割り切っていきたいなと。全部やって確かめたいという自分の性格上、側から見たらやらなくても分かり切っているようなことでもやってしまうようで、遠回りしているのかなと思わなくもないけど。その遠回りすることで人間的に厚みもでるってイチローさんが似たようなこと言ってましたね。今年も変わらず、遠回りをするかもしれないけど、その中で自分の感覚や感じることを大切にしてやっていきたい。まとまりなく、自分でも何が言いたいかわかりませんが、今年もよろしくお願いします。2022年1月1日Shu]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2022-01-01T10:33:51+00:00</published><updated>2023-01-25T10:31:56+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
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		</div>
		

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			<div>新年明けましておめでとうございます。</div><div><br></div><div>今年の元旦もここ3年くらい変わらずの元旦を過ごしてました。特に正月らしいことをするわけでもなく、気づけば年が変わっているという感じで仕事して。</div><div><br></div><div>去年を振り返ると、相変わらずいろいろなことがあったなと。特に7月からの2021年後半戦。楽しいことも大変なことも沢山あり、大きな人生の転換期を迎えたような感覚。</div><div><br></div><div>人生を小説にするとしたら、目次にも載るであろう期間といったところでしょうか。12月には大きな決断もして、今年は住む場所も仕事の形も変わり、また大きく動きそうな予感がしています。</div><div><br></div><div>ここ3年間くらいは、一般的に言えば安定とはかけ離れたような生活をしていて、安定し始めたかと思えば自分で壊して。あーでもない、こうでもないという期間かなと割り切っていきたいなと。</div><div><br></div><div>全部やって確かめたいという自分の性格上、側から見たらやらなくても分かり切っているようなことでもやってしまうようで、遠回りしているのかなと思わなくもないけど。その遠回りすることで人間的に厚みもでるってイチローさんが似たようなこと言ってましたね。今年も変わらず、遠回りをするかもしれないけど、その中で自分の感覚や感じることを大切にしてやっていきたい。</div><div><br></div><div>まとまりなく、自分でも何が言いたいかわかりませんが、今年もよろしくお願いします。</div><div><br></div><div>2022年1月1日</div><div>Shu</div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[自然を感じること、幸せを感じること。]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878376/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/c22fb000a004fbba564ea57b410034eb_b3172492bd5d187a12103f2e48b6af84.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878376</id><summary><![CDATA[最近たまたま目に入ってきて、こんな問いを考えていた。「人生があと一年だとしたら何して過ごす？」人間にはみんな平等に終わりがあって死を迎えるわけだけど、いざ死が目の前に迫った時に多くの人は後悔するんだとか。なんでかっていうと、死を意識した時に初めて自分にとって本当に大切なものが何なのか？そして、大切だと思っていたもの、大切だと思い込んでいたもの(お金、地位、名声とかね)が大して意味のないものだったと気づくからなんだって。そうならないために、今から死を意識することができて、自分にとって本当に大切なものがわかったらいいよね！ってときに、最初の問いかけがいいみたい。『人生があと一年』そう言われると急に、時間がない気がしてくる。後悔しないようにやりたいことやらなきゃ！ってなって出てきたことを、まだ人生生きていける今から積み重ねていきたいなと。考えた時に真っ先に思い浮かんだのは、大切な人と時間を過ごすこと(家族とか愛する人とか)と、自然の中で過ごすこと。他にもやりたいことはいっぱいあるけど、人生の中でずっと継続的にしていきたいこと、自分が幸せに感じることはこれなのかなと。で、ここからが本題なんだけど、実際に自然の中で大切な人と過ごそう！ということで先日上高地に行ってきたんだけど、自然の中に身を置いて自然を感じるってほんとにいいことだなって。]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2021-10-23T23:34:01+00:00</published><updated>2023-01-25T10:40:32+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/c22fb000a004fbba564ea57b410034eb_b3172492bd5d187a12103f2e48b6af84.jpg?width=960" width="100%">
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			<div><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">最近たまたま目に入ってきて、こんな問いを考えていた。</span><br></div><div>「人生があと一年だとしたら何して過ごす？」</div><div><br></div><div>人間にはみんな平等に終わりがあって死を迎えるわけだけど、いざ死が目の前に迫った時に多くの人は後悔するんだとか。</div><div><br></div><div>なんでかっていうと、死を意識した時に初めて自分にとって本当に大切なものが何なのか？そして、大切だと思っていたもの、大切だと思い込んでいたもの(お金、地位、名声とかね)が大して意味のないものだったと気づくからなんだって。</div><div><br></div><div>そうならないために、今から死を意識することができて、自分にとって本当に大切なものがわかったらいいよね！ってときに、最初の問いかけがいいみたい。</div><div><br></div><div>『人生があと一年』</div><div>そう言われると急に、時間がない気がしてくる。後悔しないようにやりたいことやらなきゃ！ってなって出てきたことを、まだ人生生きていける今から積み重ねていきたいなと。</div><div><br></div><div>考えた時に真っ先に思い浮かんだのは、大切な人と時間を過ごすこと(家族とか愛する人とか)と、自然の中で過ごすこと。</div><div><br></div><div>他にもやりたいことはいっぱいあるけど、人生の中でずっと継続的にしていきたいこと、自分が幸せに感じることはこれなのかなと。</div><div><br></div><div>で、ここからが本題なんだけど、</div><div>実際に自然の中で大切な人と過ごそう！ということで先日上高地に行ってきたんだけど、自然の中に身を置いて自然を感じるってほんとにいいことだなって。</div><div></div>
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/8569eb04cc17acc93c7b4850a650d0dd_9d6dbf76a74412c459decf756abfd9be.jpg?width=960" width="100%">
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		<div>
			<div><br></div><div><br></div><div>別に何かするわけじゃないんだけど、自然の中に行って、ただただ自然を感じようとする。</div><div><br></div><div>すると、澄んだ空気とか、いろんな音とか、自然の匂いとか、もちろん景色とか色んな形で自然を感じることができる。</div><div><br></div><div>これ自体が、めちゃくちゃ気持ちいいー！ってなるけど、自然を感じると幸福感度がめちゃくちゃ高まるんだよね。普段当たり前に思ってたことが、急に幸せに感じてくるみたいな感覚かな。</div><div><br></div><div>「味噌汁美味しいなぁ、幸せ。」</div><div>「日差しが気持ちいいなぁ」とかとか。</div><div>普段はあんまり気にも留めてないようなことに、急に気づけるようになるみたいな。</div><div><br></div><div>幸せに浸りながら、やっぱり自然って凄いなと思ったり。大切なことを気づかせてくれる。</div><div><br></div><div>タイトルにも書いたんだけど、自然を感じることと幸せを感じることってすごい近くて、</div><div>自然の中に出掛けて自然を感じることで、それ自体からも幸せを感じることができるんだけど、他の幸せにも気づけるようになっていいよねって話でした。</div><div><br></div>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[映画『最高の人生の見つけ方』]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878433/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/e4130e94daff654df5ad69b236501651_e8144f0d1ef800007e194f027bd6f9de.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878433</id><summary><![CDATA[ずっと気になっていた映画を初めて見た。DVDをレンタルしに行っていた頃から、レンタルショップのランキング上位に常にランクインしていたこの映画に惹かれていた。我ながら、自分の好きそうなタイトルだなと思う。内容について触れるつもりはあまりないが、自分が感じたことは残しておきたいなと思ったので、この文章を書いている。簡単に言うと、ガンで余命宣告されたおじいちゃん2人が、人生死ぬまでにやりたいことのリストを１つずつ叶えていくという話。まず、第一に思うことは『健康』というものがいかに尊いかを訴えられている感じがした。結局いくら生きているからといって、病院で治療生活をしていれば好きなことはほとんど何もできない。若い自分にとって、どうしても『健康』というものを後回しにしがちだが、若くて元気な今だからこそこの状態をキープしていく努力が必要だと思う。やっぱりここでも当たり前のことが大切で、・早く寝て早く起きてしっかり睡眠を取り生活リズムを整えること・ジャンクフードなど身体に悪いものを極力避けて、バランスのいい食事をすること・定期的な運動習慣・ストレスを溜めないこと・自然に触れ、スマホやネット社会からある程度距離を置くこと・気の合う友人と楽しい時間を過ごすことなど聞けば「そりゃそうだよね」と言いたくなるようなことを当たり前にやりたいなと改めて感じた。人はいつか死ぬということはみんなが知っている事実だが、いつか死ぬことを意識して生きることはものすごく難しい。特に若いうちは、いつまでもこのまま時間が続いていくように感じてしまう。歳を重ねても、病気などで死を意識するタイミングが来ない限り実感はわかないだろう。ただ、その死を意識できるかどうかが今をどう生きるのか生き方を決めると思う。人生死ぬまでにやりたい夢リストを書いているが、どんどん実現して更新してやりたいことやっていくことで人生の満足度や幸福度も上がるのかなと。また忘れた頃にもう一度見たいと思う映画でした。]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2021-04-29T23:25:24+00:00</published><updated>2023-01-26T03:52:30+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<img src="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/e4130e94daff654df5ad69b236501651_e8144f0d1ef800007e194f027bd6f9de.jpg?width=960" width="100%">
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			<p class="">ずっと気になっていた映画を初めて見た。DVDをレンタルしに行っていた頃から、レンタルショップのランキング上位に常にランクインしていたこの映画に惹かれていた。</p><p class=""><br></p><p class="">我ながら、自分の好きそうなタイトルだなと思う。内容について触れるつもりはあまりないが、自分が感じたことは残しておきたいなと思ったので、この文章を書いている。</p><p><br></p><p class="">簡単に言うと、ガンで余命宣告されたおじいちゃん2人が、人生死ぬまでにやりたいことのリストを１つずつ叶えていくという話。</p><p><br></p><p>まず、第一に思うことは『健康』というものがいかに尊いかを訴えられている感じがした。結局いくら生きているからといって、病院で治療生活をしていれば好きなことはほとんど何もできない。若い自分にとって、どうしても『健康』というものを後回しにしがちだが、若くて元気な今だからこそこの状態をキープしていく努力が必要だと思う。やっぱりここでも当たり前のことが大切で、</p><p class="">・早く寝て早く起きてしっかり睡眠を取り生活リズムを整えること</p><p>・ジャンクフードなど身体に悪いものを極力避けて、バランスのいい食事をすること</p><p>・定期的な運動習慣</p><p>・ストレスを溜めないこと</p><p>・自然に触れ、スマホやネット社会からある程度距離を置くこと</p><p>・気の合う友人と楽しい時間を過ごすこと</p><p>など聞けば「そりゃそうだよね」と言いたくなるようなことを当たり前にやりたいなと改めて感じた。</p><p><br></p><p>人はいつか死ぬということはみんなが知っている事実だが、いつか死ぬことを意識して生きることはものすごく難しい。特に若いうちは、いつまでもこのまま時間が続いていくように感じてしまう。歳を重ねても、病気などで死を意識するタイミングが来ない限り実感はわかないだろう。ただ、その死を意識できるかどうかが今をどう生きるのか生き方を決めると思う。</p><p><br></p><p>人生死ぬまでにやりたい夢リストを書いているが、どんどん実現して更新してやりたいことやっていくことで人生の満足度や幸福度も上がるのかなと。</p><p><br></p><p>また忘れた頃にもう一度見たいと思う映画でした。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[豊かさを感じる場所]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878473/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/fd727907a5093abe6023ff66a7612aa9_0535dd868bb9c23ba30d9c1dc290a995.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878473</id><summary><![CDATA[休みの日、時間があれば公園に行ったりする。ランニングしに行くときもあれば、何の目的もなく行く時もある。別に何かをするために行くというより、公園に行くということ自体に意味があるように感じる。なんでわざわざ1人で公園に行くのかと言われると、気持ちいいからくらいの理由。周りを見渡しても、子供連れか年配の方ばかりで同年代の人はほとんどいない。海外なら幅広い年代のたくさんの人が公園という場所を楽しんでいるのに、日本だとあまりそうでは無いような気がする。あくまで、個人的に知ってる範囲の話なので例外はあると思うけど。今住んでいる田舎の公園となると、午前中や日が暮れる頃に行くとほとんど誰もいない広い公園を独り占めできる。そんな時間がたまらなく好きだ。自然に触れることでリラックスできるっていうのもあると思うし、豊かな気持ちになれたりもする。生産性とか言い出したら無駄な時間なのかもしれないが、生産性ばかりを追い求める人生も悲しいと思う。心を癒し、豊かな気持ちにしてくれる公園は幸福度の高い場所だなとふと思ったという話。意外とひとりで公園に行くことに抵抗があっても、慣れるし幸せにもなれるから試してみて欲しい。]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2021-04-27T23:50:06+00:00</published><updated>2023-01-25T10:48:17+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p class="">休みの日、時間があれば公園に行ったりする。ランニングしに行くときもあれば、何の目的もなく行く時もある。別に何かをするために行くというより、公園に行くということ自体に意味があるように感じる。</p><p><br></p><p class="">なんでわざわざ1人で公園に行くのかと言われると、気持ちいいからくらいの理由。周りを見渡しても、子供連れか年配の方ばかりで同年代の人はほとんどいない。海外なら幅広い年代のたくさんの人が公園という場所を楽しんでいるのに、日本だとあまりそうでは無いような気がする。あくまで、個人的に知ってる範囲の話なので例外はあると思うけど。</p><p class=""><br></p><p class="">今住んでいる田舎の公園となると、午前中や日が暮れる頃に行くとほとんど誰もいない広い公園を独り占めできる。そんな時間がたまらなく好きだ。</p><p><br></p><p>自然に触れることでリラックスできるっていうのもあると思うし、豊かな気持ちになれたりもする。生産性とか言い出したら無駄な時間なのかもしれないが、生産性ばかりを追い求める人生も悲しいと思う。</p><p><br></p><p class="">心を癒し、豊かな気持ちにしてくれる公園は幸福度の高い場所だなとふと思ったという話。意外とひとりで公園に行くことに抵抗があっても、慣れるし幸せにもなれるから試してみて欲しい。</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[なぜ家に神棚を置いたのか]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878509/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/0e4bb844c08aa30157f5ba27b37d3477_bd728266b29742cdb8a6279a27f3edf7.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878509</id><summary><![CDATA[今日は、神棚と神札を手に入れるために伊勢神宮の内宮へ。神聖な雰囲気に、心が落ち着く感覚を味わいながら参拝を済ませ、神札と神棚を手に入れた。そもそもなぜ神棚を家に置こうと思ったかと言うと、正直神様への信仰が深いからとかそんな理由ではない。こんなこと言ったら怒られるかもしれないが、神様っていう存在が居ても居なくてもどっちでもいい。結局は、そんなことはその人次第と言ってしまえば全て終わりだと思う。最近いろいろ考えていて、いろんな心境の変化もあり"今自分がここにいること"や"周りの環境"など当たり前と思いがちなことにこそ感謝の心を持つことは大切なことだなと思う気持ちが強くなった。神棚を家に置こうと思ったのもそれがきっかけで、感謝することを習慣化するために神棚を家に置くことが有効だと思ったからだ。神棚を置く前から、時々家の近くの神社に行ったり、実家に帰れば出雲大社に行ったりはもともとしていて、感謝を込めてお参りしていた。それを毎日した方がいいのだろうけど、毎日神社に行ったりすることはなかなか難しくて、それなら神棚を家に置こうという話。神棚置くとなると、祀り方とかいろいろ決まってるみたいだけど、全てをちゃんとしようと思うと先に進まないので出来ることをやるぐらいのスタンスで、毎日手を合わせて感謝することを大切にして、そんな風に自分に合った形でいいのではないかと思う。自分の将来を神頼みで"どうにかして下さい"みたいな気持ちは一切ないし、自分の行動で切り開いていくけど、感謝の心は忘れないでいたいと思う。]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2021-04-12T11:05:42+00:00</published><updated>2023-01-25T10:50:46+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p>今日は、神棚と神札を手に入れるために伊勢神宮の内宮へ。神聖な雰囲気に、心が落ち着く感覚を味わいながら参拝を済ませ、神札と神棚を手に入れた。</p><p><br></p><p>そもそもなぜ神棚を家に置こうと思ったかと言うと、正直神様への信仰が深いからとかそんな理由ではない。こんなこと言ったら怒られるかもしれないが、神様っていう存在が居ても居なくてもどっちでもいい。結局は、そんなことはその人次第と言ってしまえば全て終わりだと思う。</p><p><br></p><p>最近いろいろ考えていて、いろんな心境の変化もあり"今自分がここにいること"や"周りの環境"など当たり前と思いがちなことにこそ感謝の心を持つことは大切なことだなと思う気持ちが強くなった。神棚を家に置こうと思ったのもそれがきっかけで、感謝することを習慣化するために神棚を家に置くことが有効だと思ったからだ。</p><p><br></p><p>神棚を置く前から、時々家の近くの神社に行ったり、実家に帰れば出雲大社に行ったりはもともとしていて、感謝を込めてお参りしていた。それを毎日した方がいいのだろうけど、毎日神社に行ったりすることはなかなか難しくて、それなら神棚を家に置こうという話。</p><p><br></p><p>神棚置くとなると、祀り方とかいろいろ決まってるみたいだけど、全てをちゃんとしようと思うと先に進まないので出来ることをやるぐらいのスタンスで、毎日手を合わせて感謝することを大切にして、そんな風に自分に合った形でいいのではないかと思う。</p><p><br></p><p>自分の将来を神頼みで"どうにかして下さい"みたいな気持ちは一切ないし、自分の行動で切り開いていくけど、感謝の心は忘れないでいたいと思う。</p><p><br></p>
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		</div>
		
]]></content></entry><entry><title><![CDATA[“当たり前のこと”ってやっぱり凄い]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878532/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/0801bcfc190d2547d91ee77147d9201f_ab5658c2bbb1649d63fdf6cfe1591093.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878532</id><summary><![CDATA[「時間を有効に使いたい」けど、「仕事から帰ると、だらだらとお酒を飲みながらYoutubeを見て・・・」そんな毎日に嫌気が差していたのはつい1週間前くらい。「時間を有効に使いたい」「何か生産性のあることをしたい」と頭の片隅で考えていても、実際は目の前の仕事にも集中できない毎日。当たり前のことを当たり前にすると、全てが上手く回り始めるということにやっと身をもって気づき始めた。「部屋を片付ける」「靴を揃える」「ベットメイキングする」「お菓子・お酒を控える」「運動する」「洗い物を溜めない」「洗濯もこまめにして、乾いたら畳む」「早寝早起き」こんなことやったらいいとわかっている当たり前のことだけど、少し前まで何１つできてなかった。でも、この当たり前にやったほうがいいことを、当たり前にするだけで面白いくらい毎日が上手く回り出す。そして、こんなことを聞いても「これを全部やるのは流石に大変そう」と思うかもしれないが、実際１つ、２つとやり始めると意外とストレスなくできることにびっくりする。これは、実際にやってみないとわからないと思うので、是非試してみて欲しい。この当たり前のことを当たり前にすることの効果は、メンタル的な部分でも大きい。１つ１つ積み重ねて継続できているという達成感と自己肯定感で、目の前のことに前向きになれたり、主体的に物事に関われるようになる。個人的には、仕事への影響も絶大だった。そして、この当たり前のことをちゃんとできる自分が好きになり、また継続して行うことが楽しくなってくる。明日への活力といった感じだろうか。この当たり前のことを当たり前にすることを実践しようと思ったきっかけは、自分がこれから死ぬまでにどうなりたいかを考えていたときに、「人格者になりたい」と思ったからだ。人格者といっても定義はいろいろあるが、この話はまたしようと思う。]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2021-04-06T10:51:37+00:00</published><updated>2023-01-25T10:53:07+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p><br></p><p>「時間を有効に使いたい」けど、「仕事から帰ると、だらだらとお酒を飲みながらYoutubeを見て・・・」そんな毎日に嫌気が差していたのはつい1週間前くらい。「時間を有効に使いたい」「何か生産性のあることをしたい」と頭の片隅で考えていても、実際は目の前の仕事にも集中できない毎日。</p><p><br></p><p>当たり前のことを当たり前にすると、全てが上手く回り始めるということにやっと身をもって気づき始めた。「部屋を片付ける」「靴を揃える」「ベットメイキングする」「お菓子・お酒を控える」「運動する」「洗い物を溜めない」「洗濯もこまめにして、乾いたら畳む」「早寝早起き」こんなことやったらいいとわかっている当たり前のことだけど、少し前まで何１つできてなかった。</p><p><br></p><p>でも、この当たり前にやったほうがいいことを、当たり前にするだけで面白いくらい毎日が上手く回り出す。そして、こんなことを聞いても「これを全部やるのは流石に大変そう」と思うかもしれないが、実際１つ、２つとやり始めると意外とストレスなくできることにびっくりする。これは、実際にやってみないとわからないと思うので、是非試してみて欲しい。</p><p><br></p><p>この当たり前のことを当たり前にすることの効果は、メンタル的な部分でも大きい。１つ１つ積み重ねて継続できているという達成感と自己肯定感で、目の前のことに前向きになれたり、主体的に物事に関われるようになる。個人的には、仕事への影響も絶大だった。そして、この当たり前のことをちゃんとできる自分が好きになり、また継続して行うことが楽しくなってくる。明日への活力といった感じだろうか。</p><p><br></p><p>この当たり前のことを当たり前にすることを実践しようと思ったきっかけは、自分がこれから死ぬまでにどうなりたいかを考えていたときに、「人格者になりたい」と思ったからだ。人格者といっても定義はいろいろあるが、この話はまたしようと思う。</p>
		</div>
	
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		</div>
		
]]></content></entry><entry><title><![CDATA[スティーブ・ジョブズが残した最後の言葉]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878597/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://scontent-nrt1-1.cdninstagram.com/v/t51.29350-15/275810580_265615515741497_8616994326482711763_n.jpg?_nc_cat=109&amp;ccb=1-7&amp;_nc_sid=8ae9d6&amp;_nc_ohc=7cpO6OAIt-IAX-2qb06&amp;_nc_ht=scontent-nrt1-1.cdninstagram.com&amp;edm=ANo9K5cEAAAA&amp;oh=00_AfAQMftsA5hATyKyaafZxU-L6TBy4TwzyvqHUcjg4VO0iA&amp;oe=63D6A4D0"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878597</id><summary><![CDATA[億万長者として膵臓がんのため、５６歳で生涯を閉じた彼が、病床で残した最後の言葉です。最後の言葉]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2021-02-17T10:59:13+00:00</published><updated>2023-01-25T10:59:15+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>億万長者として膵臓がんのため、５６歳で生涯を閉じた彼が、病床で残した最後の言葉です。</p><p><br></p><h3>最後の言葉</h3>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<p class="">私はビジネスの世界では、成功の頂点を極めました。成功の模範とも目されます。しかしながら、仕事を離れるとほとんど喜びのない人生でした。財産というのは、私の人生のほんの一部にすぎません。今、病床に横たわり死を目前にして振り返ってみると、これまで誇りをかけて築いた富や名声は、全く意味のないものに感じます。<br></p><p class=""><br></p><p class="">あなたは、運転手を雇うことができます。人を雇ってお金を稼ぐこともできます。しかし、自分の代わりに病魔と戦ってもらうことは出来ません。モノは失っても探すことが出来ます。しかし、一つだけ失うと探せないものがあります。それは、「人生」です。</p><p class=""><br></p><p class="">ある人が手術室に入ったときに、彼は読んでおくべき一冊の本が何か気づくでしょう。それは、「健康的な人生を送る本」です。今あなたが人生のどのステージにいようとも、死は必ずやってきます。家族からの愛、配偶者への愛、友情。いつまでも大切なひとを愛せるように、常に健康でいよう。</p><p class=""><br></p><p class="">年齢を重ね多くのことを学ぶと、３００ドルの時計だろうと、３０ドルの時計だろうと、同じ時を刻んでいることを知ります。３００ドルの財布だろうと、３０ドルの財布だろうと、中に入る金額は変わりません。１５万ドルの車に乗ろうが、３万ドルの車に乗ろうが、通る道や距離に変わりなく同じ場所に連れて行ってくれます。１本３００ドルのワインだろうと、１０ドルのワインだろうと、飲めば酔っぱらうことに変わりありません。３０坪の家に住もうが、３００坪の家に住もうが、寂しさも変わりません。</p><p class=""><br></p><p class="">このように真の幸せとは、物質的なものではないということがわかるでしょう。ファーストクラスに乗ろうが、エコノミーに乗ろうが、飛行機が墜落すれば皆同じように死にます。</p><p class=""><br></p><p class="">だからこそ、私はあなたに気づいて欲しい。パートナーや友や兄弟を大切にし、会話し、共に笑い、歌い、古今東西、天国と地獄について語り合える仲間がいること、これこそが本当の幸せなのです。</p><p class=""><br></p><h3>人生の真実 ５ヶ条</h3>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<p class="">あなたの子供にお金持ちになるように教育するのではなく、幸せになるように教育すること。そうすれば子供たちは大人になった時、世の中には価格に囚われない、真の価値あるものがある事がわかるでしょう。</p><p class=""><br></p><p class="">ロンドンで一番有名な格言「食事を薬と思って食べること。でなければ、薬を食事のように摂らなければならなくなる。」</p><p class=""><br></p><p class="">あなたのことを本当に大切に思ってくれている人は、例えあなたを見捨てざるをえない１００の理由があったとしても、見捨てないたった一つの理由を見つけます。</p><p class=""><br></p><p class="">「人であること」と「人として生きること」には、大きな隔たりがあります。ほとんどの人がその本当の意味を理解していません。</p><p><br></p><p class="">あなたは生まれた瞬間から愛されています。そして、あなたは死ぬまで愛され続けることでしょう。その中で、あなたはあなたの人生を生きるのです。『早く歩きたいなら、ひとりで歩きなさい。しかし、遠くまで行きたいのなら、仲間と共に歩みなさい。』</p><p class=""><br></p><h3>人生における６人の最高の医師とは</h3>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<p class="">日光</p><p class="">休養</p><p class="">運動</p><p class="">食事</p><p class="">自信</p><p class="">友人</p><p class=""><br></p><h3>最後は健康でいることが最重要</h3>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<p class="">今の時代生きていると、勝手に周りから様々な情報が入ってきて、いつの間にか自分と比較してしまうこともよくあることですよね。自分よりお金を稼いで、自分より豪華な暮らしをしている人を見たり、SNSのフォロワーが多かったり、世間から注目されている人を羨ましく思ったりすることもあるでしょう。</p><p class=""><br></p><p>でも、そこに囚われているときって本当に大切なことを見失っていることがほとんどで、みんなそれを失ってから気づくことばかりです。そんな人生において本当に大切なことを思い出させてくれる「スティーブ・ジョブズの最後の言葉」でしたね。本当の幸せ、本当に価値あることは、もうすでに持っているということを忘れずに生きていきたいと思う今日この頃です。</p><p><br></p>
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			<img src="https://scontent-nrt1-1.cdninstagram.com/v/t51.29350-15/275810580_265615515741497_8616994326482711763_n.jpg?_nc_cat=109&_nc_ht=scontent-nrt1-1.cdninstagram.com&_nc_ohc=7cpO6OAIt-IAX-2qb06&_nc_sid=8ae9d6&ccb=1-7&edm=ANo9K5cEAAAA&oe=63D6A4D0&oh=00_AfAQMftsA5hATyKyaafZxU-L6TBy4TwzyvqHUcjg4VO0iA&width=960" width="100%">
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[登山が教えてくれた知見]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878635/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/873c638eb9662945a5154180036a56e4_ad77ee9d9e19e878a7f21c9537163db3.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878635</id><summary><![CDATA[僕は先日、何を思ったのか急に午後2時に思い立って、30分後の午後2時半から３時間かけて標高1400メートル、往復で頂上まで10キロある登山道を駆け上り駆け下りて来ました。そんな普通の人からしたら意味不明だと思われる弾丸登山によって僕が気づいた大切だけど忘れている人生に役立つ気づきをこの記事ではシェアしようと思います。記憶は決して正確なものではない]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2021-01-17T11:00:19+00:00</published><updated>2023-01-25T11:02:31+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p class="">僕は先日、何を思ったのか急に午後2時に思い立って、30分後の午後2時半から３時間かけて標高1400メートル、往復で頂上まで10キロある登山道を駆け上り駆け下りて来ました。そんな普通の人からしたら意味不明だと思われる弾丸登山によって僕が気づいた大切だけど忘れている人生に役立つ気づきをこの記事ではシェアしようと思います。</p><p class=""><br></p><h3 class="">記憶は決して正確なものではない</h3>
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	<hr>
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			<p class="">今回登った山は何も初めて登る山ではなく、最後に登ったのは約2年前の秋でした。2年前の記憶なんて割と正確なものだと思うでしょ？僕自身はそう信じていましたが実際はそうではありませんでした。</p><p><br></p><p class="">登り始める前の僕の記憶の中では、緩やかな傾斜の坂道を１時間くらい歩けば頂上までたどり着くことができ、頂上の標高はせいぜい1100メートルくらいだと思っていました。</p><p><br></p><p class="">しかし実際に登ってみると、緩やかな傾斜は最初の15分程度で急に始まる険しい山道。そして、前日の雨で滑る足下。１時間経って見えたのは、５合目という目印。ここくらいで僕自身はやっと気がつきました、「想像と全然違うな」と。</p><p><br></p><p class="">確かに2年前も僕はこの同じ道を登ったはずだったのに、記憶と現実はこんなにもかけ離れている。登り始める前は、登山の楽しい記憶だけでこんなにもきつく険しい道中は全く想像していませんでした。</p><p class=""><br></p><p>そして、僕はこの時に実感しました。</p><p class="">それは、『人の記憶は、自分の意思にかかわらず美化されている』ということです。</p><p class=""><br></p><h3 class="">人は過去の記憶を勝手に美化している</h3>
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	<hr>
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			<p class="">美化されていると聞くと聞こえはいいように思えますが、ただキツかった記憶や嫌な記憶を消しているのかもしれません。どちらにせよ、記憶を思い出したところでその時の感情にそのまま戻ることもできなければ、いい部分だけが思い出されるということです。</p><p class=""><br></p><p class="">それによって、どんな問題が起きるのか。もし、過去の経験を元に現状の選択を行う場合には、選択を誤る可能性があるということです。具体的に例をだすとするならば、例えば今の仕事よりも昔の仕事の方が楽しかったから昔に戻りたいと思ったとしても、その昔の仕事を実際にしている時には様々な不満を抱えていて昔の仕事を辞めたのにもかかわらず、記憶が美化されているがために昔の仕事がすごくいいものに感じてしまい、昔と同じことを繰り返してしまったり。</p><p class=""><br></p><p class="">そうなる可能性があることを事前に知った上で判断するのか、それとも本当に昔がよかったと勘違いして判断するかは雲泥の差だと思います。そして、嬉しいことにも気がつくことができました。</p><p class=""><br></p><p class="">それは、今がどんなに面白くなくてつまらなくて投げ出したいような毎日だったとしても、それは将来美化されていい思い出になる日がくるということです。美化されてしまえば、今が辛く苦しいことさえもその時の判断では、「あの時があったから今がある」とそう思えるということです。そう考えると今楽しくないことも乗り来られそうな気がしてきますよね。</p><p class=""><br></p><h3 class="">よくも悪くも人は、記憶を美化して生きていく。</h3>
		</div>
	<hr>
		<div>
			<p>この事実を知って、重要な選択では今回と同じようなミスを繰り返すことなく過ごしていけたらいいなと思いながら下山する楽しい登山でした。</p>
		</div>
	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[2020年もあと半分。信念について。]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878666/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/e53dc3faf8729a151d572457870ceb53_9375e1adcb1ea995e5087c54cbfcd035.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40878666</id><summary><![CDATA[気がつけばもう7月が始まっていて、今年も半年終わったんだと気付かされる。特に4月からの3ヶ月間は、コロナに関係する自粛やらなんやらで暇になるのかと思いきや、ありがたいことに中々ハードな毎日を過ごすことができた。最近は忙しいことを言い訳に、あまり『思考する』という行為をしていない自分がいることが気になっていて、この今年半分のタイミングで改めて方向性とか考えてみたいした。自分の人生どこに向かうのかという問いは、刻一刻と変化していくもので何度も考え直していくものだと思うから。その考える中で、割と本を読むことでそこから考える切り口をもらうことは僕自身よくある。以前友達から紹介してもらった『人生、このままでいいの？』という本を今朝読み返していたのだが、その中でどこか惹かれる問いがあった。「もし、あなたの死後に、あなたをテーマにした映画や本ができたとする。その内容はどんなものだろう？」「一生懸命に働いてきた(生きてきた)ことで、周りの人に、どんな影響を与えることができたら、最高に嬉しいだろう？」この２つの問いかけが今の自分にとっては大切な気がした。それは、この問いを考えることによって自分の信念のような軸になる部分が確立する１つのきっかけになると思ったからだ。やはり、色々な方が書かれた本を読んだり、YouTubeを見たりするが、僕自身がものすごく惹かれる人達は自分の信念を持っていて貫いている。その信念が一貫性を持っていて実行されているところに魅力があるのではないかと思う。僕自身がそれを考えたときに、色々なことを考えて生きているつもりではあるが、うまく言葉にして説明することができない。つまり、全く信念としては確立されてないのだと思う。だから、先程の問いに自分自身考えた結果として「自分が関わる人達の人生に、少しでもいい影響を与えられる人間になりたい」ということはすぐ出てきた。それが具体的にどんな方法でどんな内容のことなのかということまではまだはっきりとは確立されていないけれど、人生を少しでも好転させられる、いい影響を何かしら与えられる、そんな人間になると決めるとその為には何が必要か勝手に考え始めた。つくづく人間という生き物の作りはすごいと思う、だって決めただけでそれを達成する為の方法を無意識的に探し始めるのだから。僕は、「人は考えている通りの人間になる」というのは間違いないと思っている。だから、紙に書いて貼っておこうかな。朝の眠たい頭で書いた文章、整合が取れてない部分は見逃して下さい。とりあえず来週は軽井沢旅行に行ってきます。]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2020-07-24T22:05:35+00:00</published><updated>2023-01-25T11:04:51+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p class="">気がつけばもう7月が始まっていて、今年も半年終わったんだと気付かされる。特に4月からの3ヶ月間は、コロナに関係する自粛やらなんやらで暇になるのかと思いきや、ありがたいことに中々ハードな毎日を過ごすことができた。</p><p class=""><br></p><p class="">最近は忙しいことを言い訳に、あまり『思考する』という行為をしていない自分がいることが気になっていて、この今年半分のタイミングで改めて方向性とか考えてみたいした。</p><p class=""><br></p><p class="">自分の人生どこに向かうのかという問いは、刻一刻と変化していくもので何度も考え直していくものだと思うから。その考える中で、割と本を読むことでそこから考える切り口をもらうことは僕自身よくある。</p><p class=""><br></p><p>以前友達から紹介してもらった『人生、このままでいいの？』という本を今朝読み返していたのだが、その中でどこか惹かれる問いがあった。</p><p><br></p><p>「もし、あなたの死後に、あなたをテーマにした映画や本ができたとする。その内容はどんなものだろう？」</p><p><br></p><p>「一生懸命に働いてきた(生きてきた)ことで、周りの人に、どんな影響を与えることができたら、最高に嬉しいだろう？」</p><p><br></p><p>この２つの問いかけが今の自分にとっては大切な気がした。それは、この問いを考えることによって自分の信念のような軸になる部分が確立する１つのきっかけになると思ったからだ。</p><p class=""><br></p><p>やはり、色々な方が書かれた本を読んだり、YouTubeを見たりするが、僕自身がものすごく惹かれる人達は自分の信念を持っていて貫いている。その信念が一貫性を持っていて実行されているところに魅力があるのではないかと思う。</p><p><br></p><p>僕自身がそれを考えたときに、色々なことを考えて生きているつもりではあるが、うまく言葉にして説明することができない。つまり、全く信念としては確立されてないのだと思う。</p><p><br></p><p>だから、先程の問いに自分自身考えた結果として「自分が関わる人達の人生に、少しでもいい影響を与えられる人間になりたい」ということはすぐ出てきた。それが具体的にどんな方法でどんな内容のことなのかということまではまだはっきりとは確立されていないけれど、人生を少しでも好転させられる、いい影響を何かしら与えられる、そんな人間になると決めるとその為には何が必要か勝手に考え始めた。つくづく人間という生き物の作りはすごいと思う、だって決めただけでそれを達成する為の方法を無意識的に探し始めるのだから。</p><p><br></p><p class="">僕は、「人は考えている通りの人間になる」というのは間違いないと思っている。だから、紙に書いて貼っておこうかな。</p><p><br></p><p>朝の眠たい頭で書いた文章、整合が取れてない部分は見逃して下さい。とりあえず来週は軽井沢旅行に行ってきます。</p>
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	]]></content></entry><entry><title><![CDATA[読書習慣を始めようと思った]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40890454/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://scontent-nrt1-2.cdninstagram.com/v/t51.29350-15/271475553_661439635101682_5391721383765736066_n.jpg?_nc_cat=101&amp;ccb=1-7&amp;_nc_sid=8ae9d6&amp;_nc_ohc=lfZ7PDTRunIAX8v-V_F&amp;_nc_ht=scontent-nrt1-2.cdninstagram.com&amp;edm=ANo9K5cEAAAA&amp;oh=00_AfAng2YbAp5NQ3cemLcnwSoQO_LXfz-mrM_tgxbv1UW5Tw&amp;oe=63D7C8D0"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40890454</id><summary><![CDATA[このコロナ自粛期間に伴い、家庭での時間を有意義に過ごすため読書する習慣つけることをはじめた。その記録を残していこうと思う。はじめに、今回2日の間に本を1冊読み切ったのだが、このスピード感が読書を習慣化する上で大切だと感じた。読み切った達成感でまた読もうという気力が湧いてくるからだ。本を読むと決めたら、本屋に行き興味の湧いた本を1冊購入する。そして、家に帰るとその熱が冷めないうちにすぐ読み始める。これが、短期間で一気に読み切るコツだと思う。他にも何冊か気になる本はあったが、一度にまとめて購入しなくて正解だったと後から感じた。その理由は、手元に何冊も本があるとどれから読むかという選択の余地が生まれ手をつけにくくなること、また1冊読み終わったときには他に買ってきた本を読む気分ではなくなっている可能性が高いことからだ。自分自身も過去にそんな失敗をしたことは多々ある。やはり、読むと決めたその時の気分で本を選び、その流れで一気に読み切るのが1番だと思う。前置きで、本について書く前に長々と書いてしまったが、ここからは今回読んだ本について触れていきたい。今回読んだ本はタイトルの通りなのだが、まずこの本が気になった理由は、フィンランドがここ2年で世界幸福度ランキングで1位に連続で輝いていたからだ。その文字が表紙に書いてあり、僕は一気に興味を惹かれた。十代の後半から、生きることや幸せの概念や哲学についての関心が高くそういったトピックには自然と目がいってしまう自分がいつもいる。そこに関心が高くなったのは、日本の常識やレールに沿った生き方をすることに進路選択のタイミングでどこか疑問を抱いたことがきっかけだった。日本より国民1人あたりのGDPは高いらしく、それだけ価値を生み出しながら幸福度も1位というのだから、どんな生き方、生活をフィンランドの人たちがしているのかシンプルに気になった。ここから内容に触れていこうと思ったのだが、想像以上に思い出せない。まだ読み終わってから3日しか経っていないのにだ。それだけ、ただ読むという行為は記憶に残らないことを思い知らされる。アウトプットする前提で読んでいなかったこと、何を吸収したいのか意識せずに読んでしまったことがこの原因かなと。次の本を読む時はこの辺りを意識しようと思う。ただ、１つ覚えている内容は「学びに貪欲である」という点だ。何歳からで身につけたいと思ったスキルを習得するために努力し、年齢に関係なく違う分野に転職するという内容にはどこか自分を痛い部分を突かれている気がして学ぶ意欲をかき立てられた。この感情を得られただけでもこの本を読んだ価値はあると思う。そして、今まで自分自身が目を背けてきた学びと向き合おうと思う。その避け続けてきた学びの１つが英語だ。英語を話せるようになりたいと思ったことは幾度となくあり、ニュージーランドにまで行ったりしたが結局断念した過去がある。学びたいけど面倒くささと苦手意識から避けてきた。ただこの本を読んだタイミングと、このコロナで世の中に関心が高い今のタイミングだからこそ学びたいと思った。というのも、英語が聞き取れたり読めたり理解できれば、世界中の情報に壁を感じることなく即座にアクセスできるというところに惹かれたからだ。世界の情報は、基本的には英語ベースのものが世界共通で早い。そして、幅広い情報にアクセスすることができる。現状の自分は、誰かが日本語に翻訳してくれるのを待っているだけで、日本語からしか情報を取り入れることができていない。これだけインターネットが普及して世界中の情報に瞬時にアクセスできる世の中でこれほど勿体ないことをしていていいのかと急に怖くなった。だからこそ、これを機に英語学習をしたいと思う。目的、目標は世界の英語ベースの情報を自分の脳で瞬時に理解し取り入れることができるようになることだ。そのための地道な取り組みを続けていこうと思う。最後にもう一つ、次回本を読む時のアイデアが浮かんだ。それは気になった部分には線を引きながら読もうということだ。こんな当たり前のことを今更思うあたりが、どれほど最近読書してなかったのかと思い知らされる。また次回本を読んだときには、今回よりも濃い内容の文章を書けるようにしたい。]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2020-04-22T12:05:31+00:00</published><updated>2023-01-26T04:15:19+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
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			<p class="">このコロナ自粛期間に伴い、家庭での時間を有意義に過ごすため読書する習慣つけることをはじめた。その記録を残していこうと思う。</p><p class=""><br></p><p class="">はじめに、今回2日の間に本を1冊読み切ったのだが、このスピード感が読書を習慣化する上で大切だと感じた。読み切った達成感でまた読もうという気力が湧いてくるからだ。</p><p><br></p><p>本を読むと決めたら、本屋に行き興味の湧いた本を1冊購入する。そして、家に帰るとその熱が冷めないうちにすぐ読み始める。これが、短期間で一気に読み切るコツだと思う。</p><p><br></p><p>他にも何冊か気になる本はあったが、一度にまとめて購入しなくて正解だったと後から感じた。その理由は、手元に何冊も本があるとどれから読むかという選択の余地が生まれ手をつけにくくなること、また1冊読み終わったときには他に買ってきた本を読む気分ではなくなっている可能性が高いことからだ。自分自身も過去にそんな失敗をしたことは多々ある。やはり、読むと決めたその時の気分で本を選び、その流れで一気に読み切るのが1番だと思う。</p><p><br></p><p>前置きで、本について書く前に長々と書いてしまったが、ここからは今回読んだ本について触れていきたい。</p><p><br></p><p>今回読んだ本はタイトルの通りなのだが、まずこの本が気になった理由は、フィンランドがここ2年で世界幸福度ランキングで1位に連続で輝いていたからだ。その文字が表紙に書いてあり、僕は一気に興味を惹かれた。</p><p class=""><br></p><p>十代の後半から、生きることや幸せの概念や哲学についての関心が高くそういったトピックには自然と目がいってしまう自分がいつもいる。そこに関心が高くなったのは、日本の常識やレールに沿った生き方をすることに進路選択のタイミングでどこか疑問を抱いたことがきっかけだった。</p><p><br></p><p>日本より国民1人あたりのGDPは高いらしく、それだけ価値を生み出しながら幸福度も1位というのだから、どんな生き方、生活をフィンランドの人たちがしているのかシンプルに気になった。</p><p><br></p><p>ここから内容に触れていこうと思ったのだが、想像以上に思い出せない。まだ読み終わってから3日しか経っていないのにだ。それだけ、ただ読むという行為は記憶に残らないことを思い知らされる。アウトプットする前提で読んでいなかったこと、何を吸収したいのか意識せずに読んでしまったことがこの原因かなと。次の本を読む時はこの辺りを意識しようと思う。</p><p><br></p><p>ただ、１つ覚えている内容は「学びに貪欲である」という点だ。何歳からで身につけたいと思ったスキルを習得するために努力し、年齢に関係なく違う分野に転職するという内容にはどこか自分を痛い部分を突かれている気がして学ぶ意欲をかき立てられた。この感情を得られただけでもこの本を読んだ価値はあると思う。そして、今まで自分自身が目を背けてきた学びと向き合おうと思う。</p><p><br></p><p class="">その避け続けてきた学びの１つが英語だ。英語を話せるようになりたいと思ったことは幾度となくあり、ニュージーランドにまで行ったりしたが結局断念した過去がある。学びたいけど面倒くささと苦手意識から避けてきた。ただこの本を読んだタイミングと、このコロナで世の中に関心が高い今のタイミングだからこそ学びたいと思った。というのも、英語が聞き取れたり読めたり理解できれば、世界中の情報に壁を感じることなく即座にアクセスできるというところに惹かれたからだ。世界の情報は、基本的には英語ベースのものが世界共通で早い。そして、幅広い情報にアクセスすることができる。現状の自分は、誰かが日本語に翻訳してくれるのを待っているだけで、日本語からしか情報を取り入れることができていない。これだけインターネットが普及して世界中の情報に瞬時にアクセスできる世の中でこれほど勿体ないことをしていていいのかと急に怖くなった。だからこそ、これを機に英語学習をしたいと思う。目的、目標は世界の英語ベースの情報を自分の脳で瞬時に理解し取り入れることができるようになることだ。そのための地道な取り組みを続けていこうと思う。</p><p><br></p><p>最後にもう一つ、次回本を読む時のアイデアが浮かんだ。それは気になった部分には線を引きながら読もうということだ。こんな当たり前のことを今更思うあたりが、どれほど最近読書してなかったのかと思い知らされる。</p><p><br></p><p>また次回本を読んだときには、今回よりも濃い内容の文章を書けるようにしたい。</p><p><br></p>
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]]></content></entry><entry><title><![CDATA[夢をノートに書いたら人生動き出した]]></title><link rel="alternate" href="https://shuiyama.themedia.jp/posts/40890679/"></link><link rel="enclosure" type="image/jpeg" href="https://cdn.amebaowndme.com/madrid-prd/madrid-web/images/sites/1959885/870aa86d10b896c9c08a1150ceb8f694_535e5a6304e8b66786dbdd254dba5b85.jpg"></link><id>https://shuiyama.themedia.jp/posts/40890679</id><summary><![CDATA[小学生のころから母親に、ノートに夢を書くと叶うからノートに夢を書きなさいと言われて書いていた記憶がうっすらある。小学生の1,2年生のときには小学生から高校生くらいまでの親子が参加する自己啓発セミナーに連れて行ってもらった(連れて行かれた)りもした。（笑）そんな経験が幼い時にあってか、19,20歳くらいのときも自分で夢ノートを作ってやりたいこととか実現したいこととか書いていた。そのノートをずっと持ち続けていたが、最近ふと見返そうと思うと紛失していた。ニュージーランド行ったり帰ってきたり、引っ越ししたりしてる間に何処かに行ってしまったらしい。そこで、久しぶりにノートにやりたいこととか何の制限も設けずただただ書いてみた。すると、昔から思っていたことが意外と思い出せなかったりしてなかなか筆が進まない。やっとの思いで100個近く書き出して改めて思ったことは、"意識してないとやりたいことですらすぐ忘れてる"ということ。意識してなかったら、実現されるわけがない。そりゃそうだと納得してしまった。そんな夢ノートを改めて作り、やりたいことを書き出した日から、毎朝毎晩そのノートを見返すことにしたのだが、これによって人生が動き出した。夢ノートと言っても、実現したいことの規模は様々で、「宇宙に行く」とか「ハワイに別荘を買う」と言った大きなことから、「早寝早起きする習慣をら身につける」「海辺で夕日を見る」と言ったすぐできそうなことまで様々。そんな自分で書いてる夢ノートを毎朝毎晩見続けると不思議なもので人間勝手にやる気になってくる。もう少し継続してこの実験をやってみようと思う。]]></summary><author><name>Shu</name></author><published>2020-03-31T04:20:53+00:00</published><updated>2023-01-26T04:12:52+00:00</updated><content type="html"><![CDATA[
		<div>
			<p>小学生のころから母親に、ノートに夢を書くと叶うからノートに夢を書きなさいと言われて書いていた記憶がうっすらある。小学生の1,2年生のときには小学生から高校生くらいまでの親子が参加する自己啓発セミナーに連れて行ってもらった(連れて行かれた)りもした。（笑）</p><p><br></p><p>そんな経験が幼い時にあってか、19,20歳くらいのときも自分で夢ノートを作ってやりたいこととか実現したいこととか書いていた。そのノートをずっと持ち続けていたが、最近ふと見返そうと思うと紛失していた。ニュージーランド行ったり帰ってきたり、引っ越ししたりしてる間に何処かに行ってしまったらしい。</p><p><br></p><p>そこで、久しぶりにノートにやりたいこととか何の制限も設けずただただ書いてみた。すると、昔から思っていたことが意外と思い出せなかったりしてなかなか筆が進まない。やっとの思いで100個近く書き出して改めて思ったことは、"意識してないとやりたいことですらすぐ忘れてる"ということ。意識してなかったら、実現されるわけがない。そりゃそうだと納得してしまった。</p><p><br></p><p>そんな夢ノートを改めて作り、やりたいことを書き出した日から、毎朝毎晩そのノートを見返すことにしたのだが、これによって人生が動き出した。夢ノートと言っても、実現したいことの規模は様々で、「宇宙に行く」とか「ハワイに別荘を買う」と言った大きなことから、「早寝早起きする習慣をら身につける」「海辺で夕日を見る」と言ったすぐできそうなことまで様々。そんな自分で書いてる夢ノートを毎朝毎晩見続けると不思議なもので人間勝手にやる気になってくる。もう少し継続してこの実験をやってみようと思う。</p><p><br></p>
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